杉本寺(撮影:2007年12月18日)


1)鎌倉市二階堂の大蔵山杉本寺は、金沢街道に面した要衝にあります。


2)鎌倉市『杉本寺』説明板

鎌倉幕府が成立する五百年も前の奈良時代(八世紀)に、行基が開いたと伝える鎌倉最古の寺です。行基は奈良の大仏造営への貢献や貧民救済の社会事業などで知られています。

その後、光明皇后の寄進で本堂が建てられたと言われています。

本尊の十一面観音像三体は、国または市指定の重要文化財で、うち一体は行基の作とされています。

坂東三十三観音霊場の第一番札所で、八月十日の縁日は参拝者でにぎわいます。


3)杉本寺山門。両側に仁王像を安置する仁王門です。


4)山門仁王尊。向かって右側、口を開いた阿形(あぎょう)像です。


5)山門仁王尊。向かって左側、口を閉じた吽形(うんぎょう)像です。


6)山門の先に、大蔵弁財天を祀る社があります。


7)大蔵弁財天付近の石塔。灯篭でしょうか。


8)本堂への最後の石段は通行止めで迂回します。


9)杉本寺本堂。本尊の十一面観音を祀ります。


●杉本寺『略縁起』より

当山は天平六年(734年)の春、光明皇后の御願により大臣藤原房前と僧行基(行基菩薩)に命じ堂宇建立し、行基自ら刻むところの十一面観世音を安置された。

次に、仁寿元年(851年)に僧円仁(慈覚大師)当山に参籠して十一面観世音を刻み安置し、また寛和二年(985年)僧源心(恵心僧都)が花山法皇の命により十一面観世音を刻み安置し、併て坂東第一番の札所と定め、法皇自ら御順礼有り、夫れより今日に至るまで貴賎の順礼絶えず。

時に、文治五年(1189年)十一月二十三日の夜、隣屋より火災起り、類焼の際、本尊三体自ら庭内の大杉の下に火をさけられたので、それより杉の本の観音と今日迄呼ばれたと『吾妻鏡』は伝えている。

其の後、建久二年(1191年)九月十八日に源頼朝公御堂再興せられ、古今の奇瑞に帰依し賜い、供養の日に上の三尊像を内陣に安置し、別に今前に立ち賜う立像七尺の十一面観世音を寄進されたものである。

なお、昔より本尊の賞罰の数ある中に放逸の輩、信心なくして御堂の前を馬にて乗り打ちする者は必ず落馬すると云うので、当時は下馬観音と云った。

時に、建長寺の開山大覚禅師が此の観音堂に参籠し、尊像を拝し祈願し、禅師が所持し賜う袈裟を以て行基菩薩御作の慈眼を覆い奉り、夫れより覆面観音と号し、往来の不浄は彼の袈裟により落馬等の利罰も止むと云う。依って頼朝時代より秘仏とされたのである。


10)本堂前。


11)本堂の横に、熊野大権現・白山大権現を祀る社があります。


12)本堂横の鐘楼。


13)本堂横の無縁の五輪塔群。


14)帰路。山門から金沢街道を見下ろします。


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