東海道保土ヶ谷宿(撮影:2008年1月22日)


1)旧東海道は保土ヶ谷宿の手前で松原商店街を通ります。


2)松原商店街を抜けると、国道16号線の松原商店街入口交差点です。


3)直進して交差点を渡ると、天王町商店街へ入ります。


4)『江戸方見附跡』の説明板。ここが保土ヶ谷宿の江戸側の入口です。


5)帷子橋と相模鉄道線の天王町駅。


6)帷子川と帷子橋(古町橋より)。左奥に横浜ランドマークタワーが見えます。


7)天王町駅のガードを抜けて広場へ出ます。


8)天王町駅前広場の旧帷子橋跡(新町橋跡)。帷子川は流れを変えました。


9)天王町駅から環状1号線を進みます。ここは反則センター交差点です。


10)『旧中橋跡』の説明板。今井川も流れを変えました。


11)環状1号線から分かれて、保土ヶ谷駅西口商店街へ入ります。


12)『問屋場跡』の説明板。


13)『高札場跡』の標柱。日本そば「高砂」の角にあります。


14)JR東海道線の東海道踏切を渡ります。


15)国道1号線に出ます。保土ヶ谷1丁目交差点の角に本陣跡があります。


16)『本陣跡』の説明板。

慶長六年(1601年)正月、東海道の伝馬制度を定めた徳川家康より「伝馬朱印状」が「ほとかや」あてに出されたことにより、保土ヶ谷宿が成立しました。

東海道を往来する幕府の役人や参勤交代の大名は、宿場に設置された本陣に宿泊しました。保土ヶ谷宿の本陣は、小田原北条氏の家臣苅部豊前守康則の子孫といわれる苅部家が代々つとめています。同家は、問屋・名主を兼ねるなど、保土ヶ谷宿における最も有力な家で、安政六年(1859年)に横浜が開港する際、当時の当主清兵衛悦甫が総年寄に任ぜられ、初期の横浜町政に尽くしました。明治三年(1870年)に軽部姓に改称し、現在に至っています。

本陣が混雑した際、幕府の役人や参勤交代の大名は脇本陣に宿泊しました。保土ヶ谷には藤屋・水屋・大金子屋の3軒の脇本陣がありました。


17)保土ヶ谷1丁目交差点から国道1号線の権太坂方面を望む。


18)『脇本陣(水屋)跡』の標柱。本陣消防出張所の前にあります。


19)消防団の倉庫のシャッター。


20)大仙寺。平安時代中期の開創といわれ、本陣をつとめた苅部家の菩提寺でした。


21)旅籠屋(本金子屋)跡。左の二階建ての建物です。


22)『旅籠屋(本金子屋)跡』の標柱。


23)国道1号線の岩崎ガード交差点と保土ヶ谷歩道橋。


24)交差点の手前に外川神社があります。明治二年(1869年)に外川仙人権現を勧請。


25)さらに手前に『一里塚跡・上方見附跡』の説明板があります。


26)外川神社前を流れる今井川(保土ヶ谷歩道橋より)。


27)旧東海道は国道1号線から右に分かれて権太坂を上ります。


◇BACK:神奈川県の東海道宿【グレゴリウス写真館の目次】

◇HOME:グレゴリウス写真館