東海道平塚宿(撮影:2008年2月5日)


1)JR平塚駅北口(宮の前歩道橋より)。奥の横断歩道が平塚駅前交差点です。


2)平塚駅前交差点。旧東海道は、東海道本通りを東から西へ進みます。


3)東海道本通りから北に入ると、相模国八幡庄総鎮守の平塚八幡宮があります。


4)東海道本通り。今度は南に入って、紅谷町公園へ寄り道します。


5)紅谷町公園のお菊塚。


6)お菊塚。


●『番町皿屋敷・お菊塚』(平塚市観光協会)

伝承によると、お菊は平塚宿役人真壁源右衛門の娘で、行儀見習いのため江戸の旗本青木主膳方へ奉公中、主人が怨むことがあって菊女を斬り殺したという。一説によると、旗本青山主膳の家来が菊女を見染めたたが、菊女がいうことを聞かないので、その家来が憎しみの余り家宝の皿を隠し、主人に菊女が紛失したと告げたので、菊女は手打ちにされてしまったが、後日皿は発見されたという。

この事件は元文五年(1740年)二月の出来事であったといい、後に怪談「番町皿屋敷」の素材になったという。また他の話によると菊女は器量が良く小町と呼ばれていたが、二十四歳のとき江戸で殺されたと言われている。死骸は長持詰めとなって馬入の渡場で父親に引き渡された。この時父親真壁源右衛門は「あるほどの花投げ入れよすみれ草」といって絶句したという。源右衛門は刑死人の例にならい墓をつくらず、センダンの木を植えて墓標とした。

昭和二十七年秋、戦災復興の区画整理移転により現在の立野町晴雲寺の真壁家墓地に納められている。


7)東海道本通りの市民プラザ前交差点。市民センターと歩道橋が見えます。


8)市民センター前の江戸見附跡と案内板。ここから平塚宿へ入ります。


9)『平塚宿史跡絵地図』の案内板。


10)江戸見附跡(市民センター前歩道橋より)。


11)東海道本通りと高麗山(市民センター前歩道橋より)。


12)『平塚宿脇本陣跡』の標柱と説明板。


13)『平塚宿本陣旧跡』の標柱。


14)本陣跡には、神奈川銀行平塚支店が建っています。


15)東海道本通りの本宿歩道橋。旧東海道は、右の脇道へ入ります。


16)脇道へ入った角が西組問屋場跡で、消防団の建物が建っています。


17)脇道を抜けると国道1号線に出ますが、その前に寄り道をします。


18)要法寺。日蓮上人の平塚村の止宿の旧跡に建てられたと伝えます。


19)平塚の塚緑地。


20)石垣で囲われた平塚の塚。


●『平塚の塚由来』(平塚市役所)

江戸時代の天保十一年に幕府によって編纂された『新編相模国風土記稿』の中に里人の言い伝えとして、「昔、桓武天皇の三代孫、高見王の娘政子が、東国へ向う旅をした折、天安元年(857年)二月この地で逝去した。柩はここに埋葬され、墓として塚が築かれた。その塚の上が平らになったので里人はそれを『ひらつか』と呼んできた」という一節があり、これが平塚という地名の起こりとなりました。この事から平塚の歴史の古さが伝わります。


21)塚の上に、国土地理院の三等三角点があります。


22)春日神社。平塚本宿の鎮守です。


23)広蔵寺墓地、鏡山お初の墓。


24)鏡山お初の墓。顕彰碑の方が立派ですが、こちらが墓石です。


●『鏡山お初の墓』(平塚観光協会)

「安室貞心信女、明和六年(1769年)十月九日」と彫られている浮世の観世音の墓石が加賀見山旧錦絵という歌舞伎で活躍する「鏡山お初」のモデル、本名「たつ」の墓であると伝えられている。

おたつは、平塚宿の松田久兵衛の娘で、萩野山中藩大久保長門守の江戸屋敷の中﨟(ちゅうろう)岡本みつ女の許に奉公にあがっていた。主人みつ女が年寄沢野から侮辱を受け自害したため、ただちに、沢野を訪ねて、主の自殺した小脇差しで仇を討ったという烈女で、後に賞せられて年寄となったと伝えられている。

この墓の傍には、昭和十年に「義女松田多津顕影碑鏡山お初」の碑が建立された。


25)旧東海道は、国道1号線の古花水橋交差点の手前へ出ます。


26)古花水橋交差点の角に京方見附跡があります。


27)大磯側から見た京方見附跡。東海道本通りの西の入口になっています。


28)旧東海道は、国道1号線を進み、大磯町へ入ります。


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