東海道大磯宿(撮影:2008年2月13日)


1)国道1号線の化粧坂交差点。旧東海道は、ここから右の道へ入ります。


2)化粧坂の道です。


3)少し行くと、道の左手に『化粧井戸』の説明板があります。

伝説によると鎌倉時代の大磯の中心は化粧坂の付近にあった。当時の大磯の代表的女性「虎御前」もこの近くに住み、朝な夕なこの井戸水を汲んで化粧をしたのでこの名がついたといわれている。


4)『一里塚』の説明板。


5)道は峠のあたりでJR東海道線に遮られます。地下歩道で線路を抜けます。


6)地下歩道の出口。


7)線路を抜けて、再び国道1号線へ入る手前が、大磯宿の江戸方の入口でした。


8)『江戸見附』の説明板。


9)国道1号線の三沢橋東側交差点へ出ます。画面左が化粧坂の道です。


10)国道1号線の大磯駅前歩道橋および大磯駅入口交差点。


11)延台寺。

天下分け目の関ヶ原の戦いの前の年、慶長四年(1599年)、東海道を旅する身延山久遠寺第十九代法主法雲院日道上人がここに一夜の宿をとり、自らが開山となり、延山直末の寺として開いた寺院です。

当時、ここには荒れ果てた草庵が朽ちかけていました。この庵は寺の古文書によると、「当寺は元法虎庵と称し、虎御前の草庵なり。中古大磯宿の東林の辺虎池に創設ありしを永禄年間(1588年)に今の寺に移す」とあります。


12)延台寺境内の『虎御石』の説明板。

安元元年(1175年)大磯の山下長者に一人の娘が生まれた。長者は四十才を過ぎても子宝に恵まれず、虎池弁財天に願をかけて授かったので、虎と名づけた。この時弁財天のお告げの印として小さな石が枕元にあり、長者は邸内にお堂を建て虎御石と名づけて大切におまつりしていた。

不思議なことにこの石は虎女の成長とともに大きくなっていった。虎女も舞の名手として広く天下に知られる程に成長し、いつしか曽我兄弟の兄の十郎と恋仲となった。十郎が虎女の家で敵方の刺客におそわれた時、この石のおかげで命が助かったので、一名身替りの石ともいう。

兄弟は富士の裾野で父の仇、工藤祐経を討ち本懐をとげて死んだ。虎女は兄弟の最後の地をたずね「露とのみ消えにしあとを来て見れば尾花がすえに秋風ぞ吹く」とよんで庵をむすんで兄弟の菩提をとむらったのが当山である。


13)延台寺境内の虎女供養塔。


14)そば処「古伊勢屋」。『本陣跡』の説明板が立っています。


15)中南信用金庫。『尾上本陣跡』の標柱が立っています。


16)和菓子店「杵新」。大磯名物の西行饅頭と虎子饅頭を売っています。


17)国道1号線の照ヶ崎海岸入口交差点。旧東海道は直進して左の道へ入ります。


18)交差点の角に、往時は南組問屋場がありました。


19)旧東海道はすぐに右折して、国道1号線のさざれ石交差点へ出ます。


20)国道1号線を進むと、「鴫立庵」の標識と、鴫立沢交差点が見えてきます。


21)『湘南発祥之地大磯』の石碑。とんかつ「はやし亭」の前にあります。


22)『湘南発祥の地大磯の由来』の説明板。

崇雪という人が寛文四年(1664年)頃、西行法師の詠んだ名歌「こころなき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮れ」を慕って草庵をここに結び、標石をたて、東海道を往還する旅人に鴫立沢を示し、「著盡湘南清絶地」と景勝を讃えて刻んだのがはじめです。

中国湖南省にある洞庭湖のほとり湘江の南側を湘南といい、大磯がこの地に似ているところから、湘南と呼ばれるようになりました。


23)鴫立庵の入口。


24)鴫立沢。


25)レストラン「ガスト」。このあたりが、大磯宿の上方の入口でした。


26)レストラン「ガスト」の前に『上方見附』の説明板が立っています。


27)国道1号線の東小磯歩道橋。


28)旧東海道は、国道1号線の東海道松並木を通って小田原宿へ向かいます。


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