相模国一之宮(撮影:2008年3月11日)


1)寒川神社参道、一の鳥居。

大化改新(645年)以後、地方には国々が再編成され、新たに赴任した国司は、任国に着くと先ず最初に、巡拝と称してその国の有力大社を参拝して回る制度がありました。一之宮の起源は、国司が巡拝する神社の順番とされます。相模国一之宮は、神奈川県高座郡寒川町宮山の寒川神社です。


2)寒川神社参道、二の鳥居。


3)寒川神社参道、三の鳥居と太鼓橋。


4)橋を渡って、木立の間を進みます。


5)寒川神社『御由緒』説明板。


●寒川神社『御由緒』

当神社の創祀年代は不明です。雄略天皇(456~479年)の御代に奉幣、また神亀四年(727年)社殿建立と伝える記録があります。

初めての公の記録は、仁明天皇承和十三年(846年)神階従五位下を授けられたとの『続日本後紀』の記録で、爾来神階の授与が度々なされており、斎衡元年(854年)従四位下、元慶八年(884年)正四位下、延喜十六年(916年)正四位上と進階されました。

また『延喜式』神名帳(927年編纂)によれば、相模国十三社のうち、唯一の名神大社とされています。

後には源頼朝・北条義時・武田信玄等の武将、徳川家代々の篤い信仰をうけており、いずれにしても千五百年余りの歴史を有する古社で、相模国一之宮とも称され、霊験あらたかな神社として現在に至まで信仰されてきています。

元国幣中社。現在は神社本庁傘下の別表神社。


6)狛犬と絵馬と客殿が見えてきます。


7)絵馬。


●寒川神社『御神徳』

当神社は、古くより関八州の守り神として、また江戸の正裏鬼門をお護りするお社として、全国唯一の方位除・八方除の守護神として信仰されています。地相・家相・方位・日柄・厄年などに由来する、すべての禍事・災難を取り除き、家業繁栄・福徳円満な日々をもたらす八方除の信仰です。


8)さらに進むと、神門が現れます。


9)神門右側の狛犬。


10)神門左側の狛犬。角があります。


11)神門と拝殿。


12)拝殿。


13)拝殿。


●寒川神社『御祭神』

当神社の御祭神については、古くより諸説がありました。古くは寒川神といわれていますが、近世には八幡神、あるいは菊理媛、素盞鳴命、稲田姫尊と称され、一定ではありません。

明治四年(1871年)国幣中社に列せられましたが、明治七年(1874年)には『特選神名牒』の選があり、その際、『皇太神宮儀式帳』に所載される末社牟彌乃神社(むみのじんじゃ)の御祭神が寒川比古命・寒川比女命であることにより、新たに御祭神にこの一説が加えられ、明治九年(1876年)『官社祭神考證』により当社の御祭神は寒川比古命・寒川比女命の二座とせられました。

大正五年(1916年)十二月、内務省通牒により、当社の御祭神は寒川比古命・寒川比女命二神とされ、今に至っています。


14)拝殿前。


15)拝殿前。


16)南西側から見た拝殿。後方に本殿が見えます。


17)JR相模線の宮山駅へ向かう途中、寒川大橋付近から見た寒川神社。


18)JR相模線の寒川駅の北に安楽寺があります。


19)安楽寺境内に、石碑と標柱と説明板が建っています。


20)寒川町教育委員会『大神塚(おおじんづか)』説明板

全長約五十メートル、後円部径約三十メートル、同高さ約五メートルの帆立貝形を呈する大きな前方後円墳である。

明治四十一年(1908年)四月、寒川神社宮司菟田茂丸氏の提唱で坪井正五郎博士により発掘調査が行われた。出土した和鏡二面、漢鏡一面、直刀三振や、陪塚から出土した金銀環、勾玉、管玉等は寒川神社参集殿に展示されている。

古墳の築造は五世紀と推定される。


21)古墳の後円部。頂上に『発掘記念碑』が建っています。


22)後円部頂上の『発掘記念碑』。


23)後円部から見た前方部。


24)古墳から西方に寒川神社の参道が望めます。古墳と神社の関係が考察されます。


◇BACK:相模国府【グレゴリウス写真館の目次】

◇HOME:グレゴリウス写真館