相模国二之宮(撮影:2008年3月18日)


1)相模国二之宮は、神奈川県中郡二宮町山西の川匂(かわわ)神社です。


2)鳥居と石段。


3)石段を登ると、随神門があります。豊磐間戸神・櫛磐間戸神を祀ります。


4)境内より随神門。


5)川匂神社『御祭神・御由緒・御祭儀』説明板

当社は相模国の二宮で、古くから二宮大明神と称し、『延喜式』所載の名社である。十一代垂仁天皇の朝、当国を磯長国(しながのくに)と称せし頃、その国造阿屋葉造(あやはのみやっこ)が勅命を奉じて当国鎮護のため崇祀せり。日本武尊東征の時、源義家東下りの時、奉幣祈願ありしを始め、武将の崇敬深し。

人皇十九代允恭天皇の皇妃衣通姫命(そとほりひめのみこと)皇子御誕生安穏のため奉幣祈願あらせられる。

一条天皇の御宇永延元年(987年)、粟田中納言次男次郎藤原景平、当社の初代神官となり、爾来今日に及ぶ。

建久三年(1192年)、源頼朝夫人平産のため神馬を奉納せらる。建長四年(1252年)、宗尊親王鎌倉に下向ありし時、将軍事始の儀として奉幣、神馬を納められる。北条相模守、小田原北条、小田原大久保等、皆累世崇敬深く、造営奉幣の寄進少なからず。

徳川の世に至り、家康公九州名護屋出陣の際、祈祷札を献上。殊の外喜ばれ、御朱印地五十石を寄せらる。爾来徳川累代将軍に及ぶ。正月には必ず江戸城に登城して親しく年礼申上げ、御祓札を献ずるのが例となり、幕末まで続行せり。明治六年(1873年)、郷社に列せられ、昭和七年(1932年)四月、県社昇格の御内示を受け、現在に及ぶ。


6)拝殿。

川匂神社は五柱の神を祀ります。

大名貴命(おおなむじのみこと)は、日本の国土を開拓した神です。また、大物忌命(おほものいみのみこと)は、殖産興業に功績のあった神です。

級長津彦命(しなつひこのみこと)・級長津姫命(しなつひめのみこと)は、相模国が相武と磯長の二国に分かれていた頃、磯長国を開拓した神です。

衣通姫命(そとほりひめのみこと)は、安産守護の神です。


7)拝殿右側の狛犬。


8)拝殿左側の狛犬。


9)拝殿背後の本殿。


10)神社の手前の二宮中学校。さらに南へ戻って、左折します。


11)『古屋敷横穴群』の標柱。農道の奥に建っています。


12)標柱付近から畑の奥の斜面を望む。右上のあたりに横穴墓があります。


13)古屋敷横穴墓群。

古屋敷横穴墓群は、二宮町川勾に所在します。46基の規模を持ち、現在は20基ほどを確認できます。古墳時代の築造とされます。

古墳文化期になると、二宮では現在とほとんど同じ地形が出来上がり、人々はここに移り住みました。 ほかの地域ではこのころ古墳が多く作られますが、二宮には全く見られず、丘陵の斜面に横穴を削って埋葬する横穴墓が盛んに造営されました。これらの横穴墓からは金銅製飾太刀が出土し、大和朝廷の工房との関連が指摘されています。


14)古屋敷横穴墓群。


15)運動場入口交差点。これより手前に、町民運動場の駐車場があります。


16)町民運動場の駐車場。駐車場の端に標柱と説明板が建っています。


17)『倉上横穴群』の標柱と説明板。


18)倉上横穴墓群。

倉上(くらがみ)横穴墓群は、二宮町山西に所在します。18基の規模を持ち、9基が現存しています。古墳時代の築造とされます。

二宮町立町民運動場の建設工事に伴う発掘調査が、昭和62年3月から5月まで実施されました。調査前の下調べでは15基の横穴墓が確認されていましたが、雑木や篠竹等を伐採し、崖面の掘削を行った結果、本調査であらたに3基が発見されました。18基のほとんどはすでに開口墓でしたが、天井部の落盤により土に埋まっていた8号横穴墓では、五体分に及ぶ人骨、直刀・刀子などの鉄製品、須恵器(すえき)・土師器(はじき)などの遺物が発見されました。また、流入土が多かった他の横穴墓においても、金銅環や須恵器・土師器等のいくつかの遺物が発見されました。


19)倉上横穴墓群。


20)釜野橋交差点。ここから北西へ進みます。


21)『八重久保横穴墓群』の標柱。農家の奥に建っています。


22)八重久保横穴墓群。

八重久保横穴墓群は、二宮町釜野に所在します。明治時代には14基が報告され、現在は11基を確認できます。古墳時代の築造とされます。


23)八重久保横穴墓群。


24)八重久保横穴墓群。現在も墓域として使用されています。


◇BACK:相模国府【グレゴリウス写真館の目次】

◇HOME:グレゴリウス写真館