瑞泉寺の境内(撮影:2008年10月2日)


1)『関東十刹第二、錦屏山瑞泉寺』の標柱。


2)総門。瑞泉寺は、鎌倉市二階堂の奥地にあります。


3)料金所。


4)料金所の後にある『俳句ポスト』。


5)山門。


6)山門から、中を覗きます。


●神奈川県教育委員会『国指定史跡瑞泉寺境内、国指定名勝瑞泉寺庭園』案内板

創建は、嘉暦二年(1327年)、錦屏山と号し、開山は夢窓疎石、臨済宗円覚寺派に属する。

徧界一覧亭も創建と同時期に建てられ、亭の前庭を兼ねた書院庭園もそのころに造られたものと思われる。

南北朝時代に入ると、鎌倉公方足利基氏が疎石に帰依したため公方の塔所となり、関東十刹に名をつらね、疎石派の拠点として関東禅林に重きをなした。

現在、寺内に古建築は残っていないが、発掘復元された池庭と、十八曲して一覧亭にいたる登坂路の遺構はよく保存されている。また、寺背の山に多くのやぐら群をふくむ境内地がほぼ全域にわたって保持されていることは貴重である。


7)茶室の南芳庵。


8)前庭。


9)前庭。


10)前庭のヒガンバナ。


11)前庭から本堂を望む。


12)瑞泉寺本堂。本尊は釈迦如来です。


13)廊下の花頭窓。


14)本堂の裏から、方丈と庭園を望む。


15)本堂裏の庭園。


16)庭園の池。


17)庭園の石橋。


●瑞泉寺拝観券『名勝瑞泉寺庭園』解説

紅葉ヶ谷を囲む三方の山が天然の垣根をなし、わずかに開けた西の空に富士山を仰ぐこの地を選び、天台山、錦屏山を背景として、夢窓国師は庭園を作られました。それは、鎌倉石の岩盤に地形に即して巧みに彫刻をほどこした、鎌倉ならではの性格のものでした。

境内の北の一隅の岩壁の正面に大きな洞(天女洞)を彫って水月観の道場となし、東側には座禅のための窟(座禅窟、葆光窟)をうがちました。天女洞の前には池を掘って貯清池と名づけ、池の中央は掘り残して島となしました。

水流を東側に辿れば滝壺に水分け石があり、垂直の岩壁は滝、その上方をさらに辿れば貯水槽があって天水を蓄え、要に応じて水を落とすしつらえとなっています。

池の西側には二つの橋がかかり、これを渡るとおのずから池の背後の山を辿る園路に導かれます。非公開ですが二つの橋も数えて十八曲がりに園路を登ると錦屏山の山頂に出て、私たちはそこにまた大きな庭と出会います。

鶴ヶ丘から鎌倉周囲の山並みが幾重にも浪状をなして重なり、遠くには箱根の山々がかすみ、右手に霊峰富士が大きく裾を広げる足下には、相模湾が自然の池をなしているのです。借景の大庭園の広がるこの山頂に夢窓国師は小亭を建て、徧界一覧亭と名づけました。

岩盤を彫刻的手法によって庭園となした、「岩庭」とも呼ぶべきこの庭園は、書院庭園のさきがけをなすものであり、鎌倉に残る鎌倉時代唯一の庭園なのです。


18)帰路。山門を出て、石段を下ります。


19)料金所手前の土産物店。


20)二階堂川にかかる通玄橋。


21)鎌倉宮カントリーテニスクラブの土手のヒガンバナ。


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