小机城(撮影:2008年12月3日)


新横浜公園から新横浜プリンスホテル

1)横浜市港北区小机町、新横浜公園の中を神奈川県道13号線が通ります。

中央のタワーは新横浜プリンスホテル、右端に日産スタジアムが見えます。


亀ノ甲橋

2)県道13号線は、亀ノ甲橋で鶴見川を渡ります。対岸の左側に、亀ノ甲山があります。

文明十年(1478年)、小机城を攻撃することになった太田道灌は、「小机は/まず手習いの/初めにて/いろはにほへと/ちりぢりとなる」と詠んで味方を鼓舞し、亀ノ甲山に陣をとりました。


鶴見川と亀ノ甲橋

3)鶴見川上流から見た亀ノ甲橋。

中央の茂みは浅間神社。亀ノ甲山は画面よりさらに左のようです。


小机城祉

4)大田道灌が陣をとった亀ノ甲山の側から、鶴見川対岸の小机城祉を望みます。


小机城祉

5)JR横浜線の小机駅北口付近から見た小机城祉。


城山踏切(横浜線)

6)小机駅から、小机城祉市民の森の入口へ向かいます。

通常の順路は、小机駅南口を出て、横浜上麻生道路を西へ進み、小机辻交差点で右折して、城山踏切を渡ります。


小机城祉の露頭

7)途中で見つけた小机城祉の露頭。

砂岩ないし泥岩ですが、縦横に亀裂が入り、石垣みたいに見えます。


小机城祉市民の森の案内板

8)『小机城祉市民の森』の案内板。入口から少し入った根古谷広場にあります。


小机城祉市民の森の案内図

8a)案内板の地図


●小机城址市民の森『小机城について』説明板(本丸広場付近にあります)

築城の年代は明らかではありませんが、おそらく、このあたりがひらけた十二世紀以降ではないかと思われます。その頃は、このあたりは上杉氏の勢力下にあり、西方にはその支配下の榎下城があったことから、それとかかわりのある城と思われます。

その後、山内上杉家の家臣長尾景春が、家督争いに端を発して反乱を起した時、景春に見方した矢野兵庫助らが城にたてこもり、北方の亀之甲山(現在の新羽町亀ノ子橋付近)に帯陣した上杉方の大田道灌の率いる軍と戦いました。

城は文明十年(1478年)に攻め落とされ、上杉氏もやがて北条早雲に追われ、小田原北条の領地となり、四十余年間廃城となっていました。

大永四年(1524年)一族の北条氏堯の城となり、笠原越前守信為を城代として再興しました。

小机は地理的に、江戸・玉縄・榎下などの諸城を結ぶ位置にあり、この地は以後軍事・経済の両面で極めて重要な役割を果すことになります。

豊臣秀吉が小田原城を攻め落し、やがて小田原北条氏が亡び、四代目城主の弥次平衛重政が徳川家の家臣として二百名の知行を与えられ、近くの台村(緑区台村)に住むことになり、小机城は廃城、その歴史を閉じることになりました。


遊歩道(小机城祉市民の森)

9)根古谷広場から進んで、坂を登ります。


道標(小机城祉市民の森)

10)道標。まず、左の本丸広場へ向かうことにします。


冠木門(小机城祉市民の森)

11)本丸広場入口の冠木門。


本丸の説明板(小机城祉市民の森)

12)小机城址市民の森『本丸』説明板

本丸は一城の中心になり、主将のいる所で、合戦中には、戦闘の指揮が置かれます。

縄張りを行う時、最も防備に主点が注がれます。

城祉の調査等実績の少ない小机城については、現在地が本丸跡とは断定できません。


遊歩道(小机城祉市民の森)

13)本丸広場から二の丸広場へ向かう道。


空堀跡(小机城祉市民の森)

14)途中に、空堀跡があります。


土塁の説明板(小机城祉市民の森)

15)小机城址市民の森『土塁』説明板

土塁は堀と共に城の防備や攻撃に重要な施設で、堀を掘った土で築き上げた防備壁を言います。

土塁の基底幅は5.0メートル、上底幅は2.5メートル、高さは2.0メートルです。

一般に中世初期に築られた城の土塁は、塁線に屈曲がなく、塁の上もしくは外のりには、必要に応じて、柵・塀・逆茂木を設けています。


土塁跡(小机城祉市民の森)

16)土塁跡。


櫓台の説明板(小机城祉市民の森)

17)小机城址市民の森『櫓台』説明板

櫓は、矢蔵すなわち兵庫や、高櫓・井楼と呼ばれる「火の見やぐら」のような見張台を言います。

そして、近世初期(十五世紀から十六世紀)の城郭の天守閣の一源流とも考えられます。

天守のない時代に展望を目的とした櫓台があったと思われます。


櫓台跡(小机城祉市民の森)

18)櫓台跡。


広場(小机城祉市民の森)

19)櫓台跡の前の広場。


二の丸の説明板(小机城祉市民の森)

20)小机城址市民の森『二の丸』説明板

現在地は二の丸と呼ばれていますが、資料不足のため、明確に二の丸と断言できません。

二の丸は、本丸を直接守備する役割があり、縄張のとき、本丸の守備や防備にも主点が注がれます。


二の丸広場(小机城祉市民の森)

21)二の丸広場。


二の丸広場(小机城祉市民の森)

22)二の丸広場。


遊歩道(小机城祉市民の森)

23)急な階段を降り、第三京浜道路の下をくぐって、富士仙元へ向かいます。


富士仙元(小机城祉市民の森)

24)富士仙元。この場所は、小机城の三の丸跡と推定されているようです。


富士仙元(小机城祉市民の森)

25)富士仙元とは、江戸時代に盛んだった富士浅間信仰の富士塚のことです。


小机城祉の山麓

26)以下、鶴見川対岸の川向町から、小机城祉の北側を望みます。


小机城祉と第三京浜道路

27)小机城祉を分断する第三京浜道路。道路の左が本丸側です。


小机城祉と第三京浜道路

28)小机城祉を分断する第三京浜道路。道路の右が富士仙元側です。


●小机城址市民の森『中世の城について』説明板(本丸広場付近にあります)

中世(九世紀から十五世紀)に築かれた城は天然の地形を利用し、小机城で理解できるように、半島状に突き出た丘陵や台地の先端部を城地したものが多く、その設備も櫓、木柵などのほか小規模な土塁や空堀の伴う程度で、居館・住館は多くは城外にありました。

横浜市内には、小机城の他、青木城・榎下城・馬場城・荏田城などがあったと言われていますが、調査されたものは榎下城だけで、その他については、かっての城の位置が推定される程度で、その実態は明らかではありません。

また、中世の城郭は、近世に築かれた大規模な「城」とはその機能・性格が異なるものと考えられ、城郭史の上でも比較的未開拓の分野と言われています。


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