鶴岡八幡宮今宮(撮影:2008年12月11日)


鶴岡八幡宮今宮

1)鎌倉市雪ノ下二丁目、鶴岡八幡宮本宮の裏の谷戸の奥に、今宮があります。


灯篭(鶴岡八幡宮今宮)

2)境内の灯篭。


紅葉(鶴岡八幡宮今宮)

3)境内の紅葉。


●鶴岡八幡宮『今宮』解説

鶴岡八幡宮の末社である今宮(いまみや)は新宮とも書き、後鳥羽・土御門・順徳の三天皇をお祀りしています。

今宮は『吾妻鏡』『新編相模國風土記稿』『新編鎌倉志』等によれば、宝治元年(1247年)四月二十五日、承久の乱により隠岐島へと流された後鳥羽天皇の御霊を宥めるために、鶴岡の乾の山麓に日夾一宇の御社を建立したとあります。また社後には、根一つから六本に分かれた大杉があり、此に天狗が住んでいたという、言い伝えもあります。


鶴岡八幡宮今宮の石碑

4)鎌倉町青年団『今宮』石碑

四条天皇延応元年(1239年)、鎌倉中処々、喧嘩闘争の事あり。特にその五月二十二日には大騒動を起せしと云ふ。この日、後鳥羽院は隠岐に崩御し給ふ。よりてそれは、その怨念の然らしめし所ならんとて、宝治元年(1247年)四月、大臣山の西麓に今宮を建て、その院の尊霊を勧請し奉り、順徳院および護持僧長賢を合祀せらる。長賢は、承久の役、官軍に属して奮戦、後、捕はれて陸奥に謫(たく)せられし者といふ。今宮はまた、新宮と書す。


鶴岡八幡宮今宮

5)今宮の社殿。


鶴岡八幡宮今宮

6)今宮の社殿。


鶴岡八幡宮今宮

7)今宮の社殿。


●『承久記』より

風を待ちて(後鳥羽院を)隠岐国へぞ着き参らする。(後鳥羽院は)道すがらの御なやみさへ有りければ、御心中いかが思しめしつづけけん。医師仲成、苔の袂に成りて御供しけり。(後鳥羽院は)哀れ、都にては、かかる浪風は聞かざりしに、哀れに思しめされて、いとど御心細く御袖を絞りて、

 都より/吹きくる風も/なきものを/沖うつ波ぞ/常に問ひける

伊王左衛門、

 すず鴨の/身とも我こそ/成りずらめ/波の上にて/世をすごすかな

御母七条院へこの御歌どもを参らせ給へば、女院の御返しには、

 神風や/今一度は/吹きかへせ/みもすそ河の/流れたえずは

中院(土御門院)をば、土佐国畑といふ所へ流し参らす。

新院(順徳院)をば、佐渡国へ流し参らす。


紅葉(鶴岡八幡宮今宮)

8)境内の紅葉。


落葉(鶴岡八幡宮今宮)

9)境内の落葉。


谷戸の道(鶴岡八幡宮今宮)

10)今宮から本宮へ戻ります。


鶴岡八幡宮本宮

11)鶴岡八幡宮本宮の西面。


鶴岡八幡宮本宮

12)鶴岡八幡宮本宮の正面。


鶴岡八幡宮の太鼓橋と三の鳥居

13)鶴岡八幡宮の太鼓橋と三の鳥居。


鶴岡八幡宮本宮と舞殿

14)鶴岡八幡宮本宮と舞殿。


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