小田原城(撮影:2008年12月15日)


小田原城北入口道標

1)最初に回り道をして、小田原駅南西の「青橋」交差点へ立ち寄ります。


小田原城天守閣

2)「青橋」交差点付近から見た、小田原城天守閣です。


●小田原市『小田原城址公園』

小田原城が初めて築かれたのは、大森氏が小田原地方に進出した15世紀中ごろのことと考えられています。1500年ごろに戦国大名小田原北条氏の居城となってから、関東支配の中心拠点として次第に拡張整備され、豊臣秀吉の来攻に備えて城下を囲む総構を完成させると城の規模は最大に達し、日本最大の中世城郭に発展しました。

江戸時代を迎えると小田原城は徳川家康の支配するところとなり、その家臣大久保氏を城主として迎え、城の規模は三の丸以内に縮小されました。稲葉氏が城主となってから大規模な改修工事が始められ、近世城郭として生まれ変わりました。その後、大久保氏が再び城主となり、箱根を控えた関東地方防御の要衝として、また幕藩体制を支える譜代大名の居城として、幕末まで重要な役割を担ってきました。

しかし、小田原城は明治3年(1870年)に廃城となり、ほとんどの建物は解体され、残っていた石垣も大正12年(1923年)の関東大震災によりことごとく崩れ落ちてしまいました。

現在の小田原城跡は、本丸・二の丸の大部分と総構の一部が、国の史跡に指定されています。また、本丸を中心に「城址公園」として整備され、昭和35年(1960年)に天守閣が復興、次いで昭和46年(1971年)には常盤木門、平成9年(1997年)には銅門が復元されました。さらに小田原市では、貴重な文化的遺産である小田原城跡をより一層親しんでいただくとともに、長く後世に伝えていくことを目的として、本格的な史跡整備に取り組んでいます。

平成18年10月に、「日本の歴史公園100選」に選ばれました。


お堀端通り(小田原城)

3)通常の順路は、小田原駅東口を出て、「お堀端通り」を南へ進みます。


学橋(小田原城)

4)二の丸へつながる学橋。この橋は渡らず、そのまま直進します。


土塀と石垣(小田原城)

5)二の丸の土塀と石垣。


隅櫓(小田原城)

6)二の丸の南東角にある隅櫓。左奥に銅門の一部が見えます。


めがね橋(小田原城)

7)馬出門土橋、通称めがね橋。本来、ここが正面入口です。


馬出門枡形復元工事(小田原城)

8)現在、馬出門枡形復元工事が進められ、通行できません。


お堀端通り(小田原城)

9)さらに進むと、「お堀端通り」は西へ折れます。


南曲輪下石垣(小田原城)

10)いったん、現在の水堀の西端まで進んで、南曲輪下の石垣を見学します。


南曲輪下石垣(小田原城)

11)南曲輪下の石垣。所々に、小さな石がはめ込まれています。


銅門(小田原城)

12)いったん通り過ぎた銅門へ戻ります。


●小田原市『銅門』

銅門(あかがねもん)は、江戸時代の小田原城二の丸の表門で、明治5年(1872年)に解体されるまで、江戸時代を通してそびえていました。往時は、馬出門土橋(現在のめがね橋)から城内に入り、銅門を通って二の丸御屋形や本丸、天守閣へと進むようになっていました。

銅門の名前は、大扉などに使われた飾り金具に、銅が用いられたことに由来します。

現在の銅門は、昭和58年(1983年)から行われた発掘調査や古写真、絵図などを参考に、平成9年(1997年)に復元されたもので、石垣による桝形、内仕切門および渡櫓門を組み合わせた桝形門と呼ばれる形式で、本来の工法で復元されています。


銅門(小田原城)

13)銅門の内仕切門。住吉橋を渡って、枡形の中へ入ります。


銅門(小田原城)

14)銅門の渡櫓門。


銅門(小田原城)

15)内側から見た銅門。次に、常磐木門を通って、本丸へ向かいます。


常磐木橋(小田原城)

16)本丸堀跡に架かる常磐木橋。


本丸堀跡(小田原城)

17)常磐木橋の上から見た、本丸堀跡。


常磐木門(小田原城)

18)常磐木門へ登る石段。


●小田原市『常盤木門』

常盤木門(ときわぎもん)は、本丸の正面に位置し、小田原城の城門の中でも、最も大きく堅固に造られていました。

古絵図などの記録から、江戸時代初期から設けられていたことが分かります。元禄16年(1703年)の大地震で崩壊した後、宝永3年(1706年)に、多門櫓と渡櫓から構成される桝形門形式で再建されたものが、明治3年(1870年)の小田原城廃城まで姿をとどめていたといわれています。

現在の常盤木門は、市制30周年事業として再建したもので、昭和46年(1971年)3月に完成しました。

常盤木とは常緑樹の意で、門の傍らには往時から松が植えられており、また、松の木が常に緑色をたたえて何十年も生長することになぞらえ、小田原城が永久不変に繁栄することを願って、常盤木門と名付けられたといわれています。


常磐木門(小田原城)

19)常磐木門へ登る石段。


常磐木門(小田原城)

20)内側、本丸広場から見た常磐木門。


本丸広場と常磐木門(小田原城)

21)本丸広場と、常磐木門。


本丸広場(小田原城)

22)本丸広場。


本丸広場(小田原城)

23)本丸広場。


小田原城案内図

24)本丸広場の『小田原城案内図・周辺案内図』。


天守閣下石垣(小田原城)

25)本丸広場と、天守閣下の石垣。


天守閣入口(小田原城)

26)天守閣へ登る石段。


天守閣入口(小田原城)

27)天守閣の入口。


●小田原市『小田原城天守閣』

天守閣は、城の象徴として本丸に構えられたものです。

古文書によると寛永11年(1634年)に、三代将軍徳川家光が小田原城の天守閣に登り、武具を見たり展望を楽しんだという記録が残っています。

元禄16年(1703年)の大地震のときには、小田原城のほとんどの建物が倒壊・焼失してしまいますが、天守閣は宝永3年(1706年)に再建され、明治3年(1870年)の廃城まで小田原のシンボルとしてそびえていました。

現在の天守閣は、昭和35年(1960年)5月に、市制20周年の記念事業として復興したもので、宝永時代の再建時に作成された引き図(設計図)や模型を参考に、鉄筋コンクリートで外観復元したものです。内部は、古文書、絵図、武具、刀剣などの歴史資料の展示室となっています。海抜約70メートルの最上階からは相模湾が一望でき、良く晴れた日には房総半島まで見ることができます。


小田原城天守閣

28)本丸広場から見た、小田原城天守閣。


後編「小田原城天守閣眺望」もご参照ください。


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