化粧坂と葛原ヶ岡(撮影:2009年1月13日)


岩船地蔵堂

1)鎌倉市扇ヶ谷の岩船地蔵堂を起点にします。

鎌倉七口のひとつ、化粧坂(仮粧坂)は、扇ヶ谷から梶原を経て、深沢に至ります。そこから、藤沢を経て、武蔵・上信越方面へ通じます。


岩船地蔵堂の説明板

2)海蔵寺『岩船地蔵堂』説明板(平成十三年)

亀ヶ谷辻に建つこの堂は、古くから頼朝の娘大姫を供養する地蔵堂と言い伝えられてきました。

木造地蔵尊の胎内の銘札にも『大日本国相陽鎌倉扇谷村岩船地蔵菩薩者當時大将軍右大臣頼朝公御息女之守本尊也』との記述があり、続けて元禄三年に堂を再建し、あらたに本像を建立した旨が記されています。

『北条九代記』にも、許婚との仲を裂かれた姫が傷心のうちに亡くなったこと、哀れな死を悼む北条、三浦、梶原など多くの人々が、この谷に野辺送りしたことが記されています。

このたび堂を再建し、本仏石造地蔵尊を堂奥に、今なお、ほのかに紅をさす木造地蔵尊を前立像として安置し、供養いたしました。

心ある方は、どうぞご供養の合掌をなさって、お通りください。


扇ヶ谷架道橋

3)JR横須賀線の扇ヶ谷架道橋の下を潜り、海蔵寺の方向へ進みます。


案内標識(鎌倉市扇ヶ谷)

4)案内標識。


曲り角(鎌倉市扇ヶ谷)

5)海蔵寺の手前の角を、左に曲がります。


化粧坂登り口

6)化粧坂の登り口に出ます。


●鎌倉町青年団『化粧坂』石碑

「気生坂」または「形勢坂」に作る。この名称は、「往時、平家の大将を討取り、その首を化粧して実検に備へしにより起る」と言ひ、また、一説には、「いにしえ、この坂の麓に遊里ありしにより、この名を負ふ」と相伝ふるも、『東鑑』にはその名見えず。この坂は、いわゆる鎌倉七口の一にして、鎌倉攻防の要路に当り、元弘三年(1333年)五月、新田義貞軍の鎌倉討入り以来、しばしば戦場となれる所なり。


化粧坂

7)化粧坂。


化粧坂

8)化粧坂。


化粧坂

9)化粧坂。


化粧坂

10)化粧坂。


源氏山公園の標識

11)坂を登りきると、源氏山公園に出ます。


源氏山公園の遊歩道

12)ここから、葛原岡神社へ向かいます。


源氏山公園の遊歩道

13)葛原岡神社への道。


葛原岡神社

14)葛原岡神社が見えてきました。


富士山(源氏山公園より)

15)途中に、富士山の見える場所があります。


葛原岡神社の鳥居

16)葛原岡神社の鳥居。


●葛原岡神社『本社祭神、日野俊基朝臣』

建武の中興を計画し、不幸にも鎌倉幕府の北条高時に捉えられ、其の完成に会はず中途で悲壮な最期をこの葛原ガ岡で遂げられた忠臣である。

社殿は、明治天皇の思召により、地元有志の方々の骨折で、全国の崇敬者の協力を得て、明治二十一年に創建された。


葛原岡神社の本殿

17)葛原岡神社の本殿。


日野俊基墓入口の標柱

18)『国指定史跡、日野俊基墓入口』の標柱。葛原岡神社の手前にあります。


俊基朝臣墓所の石碑

19)鎌倉町青年会『俊基朝臣墓所』石碑

藤原俊基朝臣の朝権の回復を図りて成らず、元弘二年(1332年)六月三日、北条高時の害に遭ひ、「秋を待たで/葛原岡に/消ゆる身の/露の恨や/世に残るらん」と、永き恨をためたるは、この処なり。


日野俊基の墓

20)日野俊基の墓。


梶原(源氏山公園より)

21)源氏山公園から、梶原方面を望む。


源氏山入口の道(梶原)

22)梶原方面へ向かって、坂を降ります。


源氏山入口バス停(梶原)

23)「源氏山入口」バス停に出ます。


梶原のバス通り

24)梶原のバス通りを、深沢へ向かって西に進みます。


西梶原バス停

25)左は「西梶原」バス停、正面は「梶原口交番前」交差点です。


梶原口交番前交差点(神奈川県道32号線)

26)「梶原口交番前」交差点で右折して、神奈川県道32号線へ入ります。


深沢交差点(神奈川県道32号線)

27)本日の終点、県道32号線の「深沢」交差点に着きました。


湘南モノレール(深沢交差点付近)

28)「深沢」交差点の横を、湘南モノレールが通っています。


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