本牧市民公園(撮影:2009年3月16日)


本牧市民公園入口

1)横浜市中区、本牧市民公園の入口。


●横浜市『本牧市民公園』

昭和四十三年(1968年)に終了した本牧埠頭関連造成用地の海面埋立てにより、それまであった海を失った人々や港で働く人々のために庭球場、運動広場、池などの施設を整備し、昭和四十四年(1969年)に公開されました。それと同時に福祉文化事業団によって運営される本牧市民プールもつくられています。昔の地形の特徴をよく残しており、池の部分が以前海だった場所です。

平成元年(1989年)に横浜市と上海市の友好都市締結十五周年を記念してつくられた「上海横浜友好園」と「トンボ池」は公園の魅力をさらに高める特徴ある施設です。


遊具広場とレストハウス(本牧市民公園)

2)遊具広場とレストハウス。


ベンチ(本牧市民公園)

3)レストハウス前のベンチ。奥に、庭球場が見えます。


レストハウス(本牧市民公園)

4)レストハウス(本牧臨海公園から撮影)。


三渓園南側の崖(本牧市民公園より)

5)本牧市民公園の背後には、三渓園南側の崖が聳えています。


埋立記念碑(本牧市民公園)

6)崖の前に建つ「埋立記念碑」。


●本牧漁業共同組合『記念碑』由来

本牧は、往昔小田原北条氏の所領であり、後に徳川幕府直轄の地となり、武蔵国久良岐郡本牧村大字本牧本郷と呼んだ。風光明媚な漁村で、緑濃く背後の丘陵地は貢馬を育てた牧場であったと伝えられる。浮世絵師広重も、この地に遊び風景を描いた。

波静かな海に、豊かな資源に恵まれた漁場を持った私達本牧漁業共同組合員は、祖先より受継いだ土地と海を誇りをもって守り育ててきた。

昭和三十八年(1963年)四月一日、横浜市が施行する本牧ふ頭関連造成事業のため本組合は、市発展の大乗的見地に立って愛する海の埋立に同意した。

かっては、この海で、泳ぎ魚貝を採り、海苔の香に親しみ、十二天社の勇壮なお馬流しの神事を行ったことも今は、思い出となる。

嗚呼。由緒と伝統のあるこの海も、新しい土の下に永遠に眠る。往時を偲び父祖の労苦に感謝の意を捧げ、子孫の繁栄を永劫に祈念して、この碑を建てる。


D51形蒸気機関車(本牧市民公園)

7)D51形蒸気機関車と芝生広場(本牧臨海公園から撮影)。


D51形蒸気機関車(本牧市民公園)

8)D51形蒸気機関車。


D51形蒸気機関車の動輪(本牧市民公園)

9)D51形蒸気機関車の動輪。


D51形蒸気機関車のプレート(本牧市民公園)

10)D51形蒸気機関車の正面ナンバープレート。


上海横浜友好園とトンボ池(本牧市民公園)

11)芝生広場から、トンボ池と上海横浜友好園を望みます。


芝生広場とトンボ池(本牧市民公園)

12)上海横浜友好園から、トンボ池と芝生広場を望みます。


●横浜市『本牧市民公園』つづき

「上海横浜友好園」は横浜市が上海市に寄贈した「横浜上海友好館」のお返しとして上海市から提案、整備されたもので、中国江南様式による庭園です。上海市の木、花のハクモクレンに因んで命名された玉蘭庁を中心に、庭院、曲橋で結ばれ、六角形の二重屋根が特徴的な湖心亭からもう一つの出入口の竹門などが池の中に巧みに配置され、背景となっている三溪園の緑と崖が独特の雰囲気を醸し出しています。また、夜間はライトアップされ、水面にその美しい姿を映します。

「トンボ池」は、本牧に多くいたトンボを再び呼び戻すために、以前普通の池だった部分に自然の材料で、水路など多様な生物環境をつくったもので、現在「本牧にトンボを育てる会」などの手によって湿生植物の植えつけや、ヤゴの放流、ザリガニの除去などが行われています。


上海横浜友好園の門

13)上海横浜友好園の門。


上海横浜友好園の門

14)上海横浜友好園の門。


ハクモクレン(上海横浜友好園)

15)上海横浜友好園の門前のハクモクレン。


玉蘭庁の入口(上海横浜友好園)

16)玉蘭庁の入口。


ライオン像(上海横浜友好園)

17)玉蘭庁の入口横のライオン像。


玉蘭庁(上海横浜友好園)

18)玉蘭庁と門と橋。


玉蘭庁(上海横浜友好園)

19)玉蘭庁の西面とトンボ池。


玉蘭庁(上海横浜友好園)

20)玉蘭庁の北面とトンボ池。


トンボ池(本牧市民公園)

21)トンボ池(三渓園南門付近)。


湖心亭(上海横浜友好園)

22)湖心亭。


湖心亭(上海横浜友好園)

23)湖心亭。


トンボ池(本牧市民公園)

24)トンボ池(本牧市民公園西端付近)。


後編「本牧臨海公園」もご参照ください。


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