富岡総合公園(撮影:2009年3月30日)


富岡総合公園の南西口

1)横浜市金沢区。国道16号線「鳥見塚」交差点を北に入ると、富岡総合公園です。


●横浜市『富岡総合公園』

ここには、かつて日本海軍の基地「横浜海軍航空隊」があり、戦後は米軍に接収され富岡倉庫地区と呼ばれていました。関係者の努力のかいあって昭和四十六年(1971年)に返還され、昭和五十年(1975年)からその一部が公園として公開されました。

古くは海沿いの景勝地であったもので、昭和六十三年度(1988年度)に整備された展望台に設置された地図によると、以前は富岡の山の先が海であったことがよく分かります。

ミズキ、タブ、クヌギなどの自然樹林の中には、テニスコート、アーチェリー場も整備されています。アーチェリー場は公営施設としてはわが国最初のもので、90メートルの射程のものが20レーンあり、多くの国際選手を育てたことで有名です。

中央の道路沿いには、毎年見事な花を見せてくれる桜や西洋の公園を想わせる並木が見られ、道路の両脇には横浜海軍航空隊当時の石門が残されています。

道路北側の細い階段を上ったパーゴラのある広場には、ごつごつと石が埋込まれた半球形の不思議な形のモニュメントが設置されています。この上によじ登って声を出すと、洞窟の中にいるように声が響く不思議なモニュメントです。また、その周囲に埋込まれた東西南北の文字は、広場の整備当時、本牧市民公園内の上海横浜友好園建設のために横浜を訪れていた中国人の筆によるものです。


桜並木(富岡総合公園)

2)「中央の道路」沿いの桜並木。


元横浜海軍航空隊隊門(富岡総合公園)

3)「元横浜海軍航空隊隊門」の門柱。


階段(富岡総合公園)

4)まず、道路北側の「パーゴラのある広場=北台展望台」へ向かいます。


モニュメント(富岡総合公園)

5)「石が埋込まれた半球形のモニュメント」がありました。


北台展望台の説明板(富岡総合公園)

6)富岡総合公園『北台展望台』説明板

この展望台は、横浜の開港の地である関内地区の方角に向かっています。正面に見える根岸湾は昭和三十四年(1959年)から根岸湾埋立事業として始まり、昭和四十六年(1971年)までの十二年間に610ヘクタールが陸となり現在の工場地帯となりました。左手に見える磯子地区にある斜面地の樹林が旧水際線で埋立前の面影を残しています。

また、ここからは、みなとみらい21地区の象徴であるランドマークタワー、ベイブリッジ、つばさ橋など、横浜の発展しつつある姿が一望できます。


北台展望台のパーゴラ(富岡総合公園)

7)「北台展望台」のパーゴラ(ブドウ棚)。


らびすた新杉田(富岡総合公園より)

8)「北台展望台」から北西方向、新杉田駅方面を望みます。

高層ビルは、「らびすた新杉田」の住宅部分「ヨコハマ・シーナリータワー」です。


桜並木(富岡総合公園)

9)「中央の道路」へ戻って、北へ進みます。


鎮魂碑(富岡総合公園)

10)浜空神社跡地に建つ『鎮魂海軍飛行艇隊』石碑。


浜空神社の由来の石碑(富岡総合公園)

11)海軍飛行艇会『浜空神社の由来』石碑

昭和十一年十月一日、飛行艇隊の主力として横浜海軍航空隊が当地に開設された。その守護神として造営されたのが、この浜空神社である。昭和二十年八月十五日、大東亜戦争終結後、当航空隊跡地は横浜市富岡総合公園として生れ変ったのである。

浜空会では、特に願い出て、戦没者の鎮魂と恒久平和を祈念して、浜空神社の修復復興をはかり、全海軍飛行艇隊の戦没者殉職者、約二千柱の御霊を合祀した。

横浜航空隊は、浜空神社を中心とした広大な陸上の敷地と、現在埋立てられた根岸湾に水上の飛行艇発着場を専有していた。隊員約一千名、大型飛行艇二十四機を有する海軍最大の飛行艇専門航空隊として、その威容を誇ったものである。今なお隊門附近の桜並木と飛行艇大格納庫が当時を偲ぶ面影を残し、訪れる者に静かに語りかけてくれる。

時局の推移に伴い、横浜航空隊から新たに東港航空隊が分立した。十六年十二月八日、大東亜戦争勃発するや、この両隊は直ちに第一線に出動した。引続き第14航空隊・対潜専門部隊・輸送教育等各精鋭飛行艇隊が、横浜空を母体として誕生し、第一線に、又後方に配備され、その強大な航続力を発揮して洋上大遠距離の哨戒・攻撃・輸送・救出作戦等を展開し、ハワイ・印度・アリューシャン・豪州・ソロモンにわたる広大な戦域を駆け巡って勇戦奮闘した。

作戦上、部隊名を801空(横浜)、851空(東港)、802空(14空)、901空(対潜)等に変更し、戦争終期には兵力集中の為、詫間航空隊に全飛行艇隊を集結して、沖縄攻防戦に死闘を演じ、満身創痍全力を尽し果たして、戦の幕を閉じたのである。中でも横浜航空隊はソロモン最前線のツラギに進攻作戦中、強力な敵の反撃をうけて、昭和十七年八月、宮崎司令官以下338名が壮烈な玉砕を遂げたのである。

富岡のこの地は、かくの如く誇りある海軍飛行艇部隊発祥の歴史をもっているのである。この事実を永く後世に語り継がんが為、ここに記念碑を建立する次第である。


浜空の碑(富岡総合公園)

12)『浜空の碑』石碑

大鵬渡海奏奇功/離島守防意気隆/衆寡難勝嗟惨々/至誠不抜憶濱空

この地に原隊を有せし飛行艇隊元横濱海軍航空隊は、昭和十七年八月七日未明、南太平洋ソロモン群島ツラギに於いて米軍の反攻上陸を受け、二昼夜にわたる死闘の末、宮崎重敏司令外五百余名全員玉砕せり。これらの人々の冥福と恒久平和を祈念してこの碑を建立す。


梅林と池のある広場(富岡総合公園)

13)道路に沿って進むと、「梅林」と「池」のある広場に出ます。

このあたりから公園は道路の片側だけになり、「中央の道路」は「北側の道路」と呼ぶ方が適切になります。


プラタナス広場(富岡総合公園)

14)さらに進むと、「プラタナス広場」に出ます。

このあたりが公園の中央口になります。最寄に金沢シーサイドライン「南部市場駅」があります。


プラタナスの幹(富岡総合公園)

15)「プラタナス広場」のプラタナス。


つつじ坂(富岡総合公園)

16)「プラタナス広場」から「つつじ坂」を上り、「見晴らし台」へ向かいます。


見晴らし台のある広場(富岡総合公園)

17)「見晴らし台」のある広場に着きました。


見晴らし台の説明板(富岡総合公園)

18)富岡総合公園『見晴らし台』説明板

ここからは、近くにはシーサイドタウンや横浜ベイサイドマリーナ、そして金沢の海が一望でき、天気のよい日には、つばさ橋、遠く木更津市・君津市・富津市などの工場群や房総半島の山々を眺めることができます。

金沢区の臨海部は、昭和四十年代から始められた埋立事業によって自然の海岸の多くが埋め立てられ、新たな町に生まれ変わりました。

現在、富岡総合公園は内陸部に位置していますが、埋立が始まる前は、見晴らし台前面の斜面が海岸線で、眼下に広がる町並みは金沢の海でした。


東京湾(富岡総合公園より)

19)「見晴らし台」から、北東方向を望みます。

画面左上に、南本牧ふ頭のメガ・ガントリークレーンが見えます。


風車(富岡総合公園より)

20)「見晴らし台」から、南東方向を望みます。

画面中央の風車は、三菱重工業横浜製作所金沢工場内の風力発電装置です。


トチノキ並木(富岡総合公園)

21)「見晴らし台」から下って奥へ進むと、「トチノキ並木」があります。

このあたりに、運動施設が並んでいます。


多目的運動広場(富岡総合公園)

22)「多目的運動広場」。


アーチェリー場(富岡総合公園)

23)「アーチェリー場」。


神奈川県警察第一機動隊の建物

24)「プラタナス広場」へ戻って、「北側の道路」を東に進みます。

道路沿いに、神奈川県警察第一機動隊の建物があります。この建物は、横浜海軍航空隊の飛行艇大格納庫だったそうです。


遊歩道(富岡総合公園)

25)「北側の道路」から右折し、住宅地に沿って公園の南東側へ向かいます。


芝生広場(富岡総合公園)

26)「芝生広場」。


アスレチック広場(富岡総合公園)

27)「アスレチック広場」。


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