高麗山公園(撮影:2009年9月25日)


1)神奈川県中郡大磯町高麗、高麗山の麓に高来神社があります。


2)高来神社の社殿。高麗寺の下宮・観音堂があった場所とされます。


●『高来神社(高麗寺)の由来』掲示板

当山の縁起は古く明らかではないが、神武天皇の御代の開闢と伝えられています。垂仁天皇の御代に神皇産霊尊(かみむすびのみこと)と瓊々杵尊(ににぎのみこと)を祭神とし、安閑天皇の御代に応神天皇と神功皇后が合祀されたとあります。

神功皇后が三韓を征伐した時に神霊が御出現して勝利に導きました。因って武内宿禰は奏して東夷静謐の為に、神皇産霊尊(高麗大神和光)を当山の韓館の御宮に遷し奉りました。これが高麗権現社の起源であります。

高来神社の奉納木遣に、応神天皇の御代に邪険な母国を逃れた権現様が唐船(権現、明神丸)で大磯に渡来されて、この地を開発されました。これは続日本紀の霊亀二年(716年)に武蔵国高麗郡の開発に郡令として向かわれた若光がモチーフと考えられます。

又、大磯の浦(照ヶ崎)で漁をしていた蛸井之丞の小舟に小蛸が上って来たかとみると舳先に千手観音が御立ちになりました。舟の者共伏し拝み、高麗山にお遷し致しました。夏の大祭には蛸井之丞の子孫が宮神輿の先供をして権現、明神丸の船屋台が前後に従い照ヶ崎の祭場に渡御されます。近年舟屋台は隔年の出御です。

養老元年(717年)に行基僧正が巡国の折に千手観音を山頂にお祀りしてある高麗権現の本地佛とお定めになりました。これより神仏習合の地として山頂の高麗権現と下宮の千手観音とを併せ祀り、高麗寺別当の司る所となりました。斉衡年間(855年)に円仁により本社の左峰に毘沙門塔を、右峰に白山社を建立されました。

鎌倉時代には幕府の尊崇厚く、後白河法皇の仏事に與り、政子の平産祈に神馬を奉りました。建長七年(1255年)に定禅坊が牛王刻印を献上し、弘安十一年(1288年)に鐘が鋳造されました。僧坊は二十四を数え、高麗寺の最盛期で神像群もこの頃に造られました。

室町時代には足利氏の内乱で高麗山が攻防の場となり、戦国には北条小田原城を上杉・武田勢が攻め果たさず、引き上げの途中に高麗寺も戦火に遭い、白山社と毘沙門塔を消失しています。

天正十九年(1591年)に徳川の時代となり、家康より寺領百石と山林を賜わり、後、東照権現が併せ祀られ、地頭の治める所となりました。春の大祭は家康の命日、四月十七日に因み行われ、山神輿の登御、町内の植木市で賑わいます。

明治になり神仏分離され、寺物は地蔵堂に移され、高麗(こま)神社と改称され、明治三十年(1897年)年に高来(たかく)神社に改称されました。


3)高来神社の奥から、高麗山へ登ります。


4)高麗山頂上の環境省・神奈川県『高麗と若光』説明板

昔から日本と朝鮮の文化交流は深く、相模国をはじめ東国七州の高麗人を武蔵国に移して高麗郡をおいたと「続日本記」には書かれています。

奈良時代のころ高句麗は唐・新羅に滅ぼされ、日本に難を逃れた人も多くその中に高句麗王族のひとり高麗若光もいました。若光は一族をつれて海を渡り大磯に上陸、日本に帰化してこの山のふもとの化粧坂あたりに住み、この地に高度な文化をもたらしました。

高麗若光と高句麗の人たちが住んでいたことから、この地が高麗と呼ばれるようになりました。


5)高麗山頂上の上宮造営所。高麗寺の上宮・高麗権現社があった場所とされます。


6)高麗山から浅間山へ向かいます。


7)浅間山頂上の環境省・神奈川県『浅間社』説明板

江戸時代、雲をぬいて天高くそびえる富士山を神とした浅間信仰が広まりました。

白い衣裳をまとい、口々に「懺悔懺悔、六根清浄」と唱えながら登る。六根とは眼、耳、鼻、舌、身、意のことで、「六根清浄」が登山の精神であり、富士山は信仰登山のあこがれでした。

しかし、富士登山は費用と日数がかかり、女人禁制でもあったため、浅間社を富士山の見える高台や山頂にまつり、そこにお参りすることにより願いが富士山に通じると、庶民の間にひろまり厚い信仰を集めました。

浅間社は木花佐久夜毘売命(このはなさくやびめのみこと)を主神とし、美しい富士山を桜の花にたとえた名前と伝えられ、浅間社を祀った山であることから浅間山と呼ばれるようになりました。


8)浅間山頂上の浅間神社。


9)浅間山の先で道を右に折れて、湘南平へ向かいます。


●神奈川県・かながわの公園50選『高麗山公園』

JR大磯駅の北に連なる丘陵上にあるこの公園は、千畳敷とも呼ばれる湘南平と浅間山、それに、こどもの森で構成されている。

湘南平には旧日本軍の砲座があって、北側からここまで車道がつくられた。現在、展望塔、休憩所、駐車場がある。

標高181メートルとさ程高くはないが、その眺望は眼下の相模湾と海岸線に始まり、伊豆大島、伊豆の連山、箱根、富士、丹沢の山並み、相模平野、江の島、三浦半島と360度の視界は格別。

湘南平の東端に電波塔を兼ねた展望塔があり、その先に安藤広重の浮世絵で有名な高麗山がある。

ここの豊かな樹林は、その特徴的な山の姿とともに相模灘をゆく船の航行目標保安林に指定されている。


10)道を進むと、湘南平の東端の平塚テレビジョン中継放送所に出ます。

テレビ神奈川が開局し、NHK・在京キー局各局も相乗りする形で増設。県中央部の基幹局として位置づけられています。


11)平塚テレビジョン中継放送所(テレビ塔付き展望台)。


12)平塚テレビジョン中継放送所(テレビ塔付き展望台)。


13)平塚テレビジョン中継放送所(テレビ塔付き展望台)。


14)テレビ塔付き展望台から見た、高麗山の頂上。


15)テレビ塔付き展望台の内部。


16)テレビ塔付き展望台の内部。


17)湘南平の千畳敷広場。


18)湘南平の標石。


19)先代の見晴台。木が茂り、見晴らしが悪くなってしまったそうです。


20)休憩所。


21)高麗山公園レストハウス。


22)高麗山公園レストハウスの展望台から見た千畳敷広場。


23)高麗山公園レストハウスの展望台から見た高麗山頂上。


24)高麗山公園レストハウスの展望台。無料の双眼望遠鏡が備え付けられています。


25)花水川河口・相模川河口・江ノ島(高麗山公園レストハウスの展望台より)。


26)大磯港(高麗山公園レストハウスの展望台より)。


27)大磯駅付近の住宅街(高麗山公園レストハウスの展望台より)。


28)湘南平の『関東ふれあいの道』案内標識。大磯駅へ降ります。


付記:高麗山公園は、平塚市万田の湘南平を中心とした区域を指すようですが、高麗山はここから東に1キロメートル以上離れています。混乱を防ぐためか、現地の案内標識には高麗山公園という表記はほとんどなく、湘南平とされています。

公園の名称と範囲について、平塚市と大磯町のサイトを参照します。

●平塚市『高麗山公園』

平塚市と大磯町にまたがる約140.8ヘクタールの風致公園で、平塚市域の面積は約46ヘクタールあります。高麗山公園は、湘南平、湘南平ハイキングコース、浅間山、子供の森などがあります。

標高約180メートルの山頂を湘南平といい、テレビ塔付き展望台と高麗山公園レストハウスがあり、360度の展望と自然環境に恵まれ、サクラの名所になっています。

●大磯町『高麗山と湘南平』

大磯町北部と平塚市南西部にまたがる海抜181メートルの丘陵で、正式には平塚大磯都市計画風致公園という名前がつけられています。

高麗山(大磯町)は、湘南平の東側に位置し、海抜165メートルで、奈良時代にこの山側一帯に高句麗からの渡来人が居住し集落を作ったことから高麗山の名前がついたといわれています。古くから神域として保護され、緑濃い森林は神奈川県内でも良質な自然度の高さで「高麗自然林」と呼称されています。

湘南平(平塚市)は、かつて千畳敷といわれていましたが1958年から現在の名で呼ばれ、眺望のすばらしさは県内外の知られるところとなっています。


◇HOME:グレゴリウス写真館