袖ヶ浦と吾妻神社(撮影:2009年10月15日)


1)神奈川県中郡二宮町の海岸。


●二宮町観光協会『袖が浦』

湘南二宮の海岸を「袖が浦」海岸と言います。

伝説では、日本武尊(やまとたけるのみこと)が天皇の命により東征の途中、三浦半島走水から海路上総に渡ろうとすると、突如として暴風が起こり、その時、妻の弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)は、神の怒りを鎮め、あわせて夫の武運を祈って海中深く身を投じました。すると、海はたちまち穏やかになりました。

暴風が去ったあと、二宮の海岸に弟橘媛命の櫛と衣の袖が流れ着きました。このことから、二宮の海岸を「袖が浦」と呼ぶようになりました。


2)観光マップによれば、海岸の東部が特に「袖が浦海岸」と呼ばれています。

袖が浦海岸では、2007年9月の台風9号により、浜が消失しました。


3)海岸の中部は「梅沢海岸」と呼ばれています。


4)浜は円磨された礫に覆われていますが、渚は砂地になっています。


5)円磨された礫。箱根火山や丹沢山系に由来するものでしょうか。


6)梅沢海岸の梅沢川河口付近には、二宮漁港突堤があります。


7)梅沢川河口に架かる美浜橋。ここから北へ進みます。


8)国道1号線「吾妻神社入口」交差点の北に、吾妻神社の鳥居があります。


9)鳥居の脇に建つ石碑。

県下名勝史跡四十五佳選当選記念/吾妻村梅沢・吾妻神社/横浜貿易新報社。


10)吾妻人道橋で東海道線の線路を越えると、吾妻山公園梅沢登り口に出ます。


11)登り道が続きます。


12)吾妻神社の阿形の狛犬。


13)吾妻神社の吽形の狛犬。


14)『吾妻神社・由緒記』境内掲示

吾妻神社は梅沢の氏神で、その創建は第十二代景行天皇の朝に始まると云う。主神は弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)とし、日本武尊(やまとたけるのみこと)を配祀する。

日本武尊は景行天皇の第三皇子である。天皇にそむく部族を征伐するため東北におもむく途中、三浦半島走水から海路上総に渡る時、暴風突如に起り、そこで妻の命(みこと)は夫にかわり、海神の怒りを静め夫の武運を祈り、海中に身を投じた。するとたちまち海は穏やかになったと云う。

その七日後に命の御櫛が海辺に流れつき、埋めて御陵を造る。この前下一帯を埋沢といい、梅沢と同音である。又、命の小袖が磯辺に漂い、これを取りて山頂に祭ったと云う。その海岸を袖ヶ浦と云う。日本武尊は東北戦が終り、帰路相模国から足柄を通り甲斐に出る途中、峠ではるか東方の海をながめ「あゝ吾が妻」と嘆かれたと云う。

弟橘媛命の御神体は木彫の千手観音で、既に数千年星霜を経て現在、藤巻寺に安置してある。

源頼朝幕府を鎌倉に創設するや、妻政子本社を崇敬すること浅からず。吾妻山全山と山麓田畑並に霜見塩田を寄付する。右大臣源実朝も祈願のため建保六年に雄剣を奉納する。


15)吾妻神社の社殿。


16)吾妻神社の社殿。


17)社殿の横からさらに登ると、吾妻山の頂上へ出ます。


18)吾妻山の頂上。吾妻山公園の芝生広場と展望台があります。


写真112「吾妻山公園」もご参照ください。


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