大師公園(撮影:2009年11月20日)


1)川崎市川崎区、京急大師線「川崎大師」駅。


2)川崎大師平間寺の大山門と大本堂。


3)川崎大師平間寺の大本堂。


●川崎大師『略縁起』

今を去る880余年前、崇徳天皇の御代、平間兼乗(ひらまかねのり)という武士が、無実の罪により生国尾張を追われ、諸国を流浪したあげく、ようやくこの川崎の地に住みつき、漁猟をなりわいとして、貧しい暮らしを立てていました。

兼乗は深く仏法に帰依し、とくに弘法大師を崇信していましたが、わが身の不運な回り合せをかえりみ、また当時42歳の厄年に当たりましたので、日夜厄除けの祈願をつづけていました。

ある夜、ひとりの高僧が、兼乗の夢まくらに立ち、「我むかし唐に在りしころ、わが像を刻み、海上に放ちしことあり。已来未(いらいいま)だ有縁の人を得ず。いま、汝速かに網し、これを供養し、功徳を諸人に及ぼさば、汝が災厄変じて福徳となり、諸願もまた満足すべし」と告げられました。

兼乗は海に出て、光り輝いている場所に網を投じますと一躰の木像が引き揚げられました。 それは、大師の尊いお像でした。 兼乗は随喜してこのお像を浄め、ささやかな草庵をむすんで、朝夕香花を捧げ、供養を怠りませんでした。

その頃、高野山の尊賢上人が諸国遊化の途上たまたま兼乗のもとに立ち寄られ、尊いお像と、これにまつわる霊験奇瑞に感泣し、兼乗と力をあわせ、ここに、大治三年(1128年)一寺を建立しました。そして、兼乗の姓・平間をもって平間寺(へいけんじ)と号し、御本尊を厄除弘法大師と称し奉りました。これが、今日の大本山川崎大師平間寺のおこりであります。

法灯をかかげて、悠久ここに880余年、御本尊のご誓願宣揚と正法興隆を目指す根本道場として、川崎大師平間寺は、今、十方信徒の心からなる 帰依をあつめています。


4)境内の遍路大師尊像。


5)仲見世通りを背に、大師公園へ向かって、川崎大師の東側を南に進みます。


6)大師公園の手前から、川崎大師の八角五重塔を望みます。


7)大師公園の中から、川崎大師の薬師殿と信徒会館を望みます。


●川崎市『大師公園』

川崎大師平間寺に隣接する公園で、野球場、テニスコート、プール、芝生広場などがあります。昭和62年に川崎市・瀋陽市友好都市提携五周年を記念して瀋陽市から贈られた中国庭園「瀋秀園」は人気の的になっています。


8)川崎大師方面から公園に入ると緑陰広場です。その先に噴水広場が見えます。


9)緑陰広場付近の休憩所と案内標識。


10)芝生広場。公園の北側中央に位置します。


11)芝生広場。


12)くじら広場。芝生広場の西に隣接しています。


13)くじら広場。


14)わんぱく広場。芝生広場の東に隣接しています。


15)わんぱく広場。


16)わんぱく広場。


17)芝生広場を囲むカナール。


18)噴水広場から芝生広場を望みます。奥の小高い場所は展望台です。


19)展望台の一角に「ふれあい」像があります。


20)「ふれあい」像。


21)展望台の下に、瀋秀園の塀が見えます。


22)塀に沿って、瀋秀園の入口へ向かいます。


●川崎市『瀋秀園』

この庭園は中国の瀋陽市から友好都市提携五周年を記念して寄贈されたもので、悠久な歴史と伝統にはぐくまれた中国庭園技術の奥義をきわめた瀋陽市のすばらしい庭園という意味で「瀋秀園」と名付けられました。

庭園面積は約4300平方メートルで、太湖石を主景とした閉鎖的な空間と、池(秀湖)を中心とした明るい開放的な空間からなり、滝・石・築山・樹木など四季の変化に富む景色を楽しみながら橋と園路により庭園内を回遊できるようになっています。

建築物につきましては、風雅な古典庭園建築様式が採用されておりまして、門は垂花門、四阿は知春亭・藕香謝・攬翠亭、回廊は環碧廊、橋は柳蔭橋・臥波橋・知魚橋となっております。

特に明代・清代の皇帝や勅建の寺廟、親王邸などに用いられた瑠璃瓦は、端正で美しい線形が特徴となっております。

この庭園には中国でも大変貴重な石とされております太湖石をはじめ、瑠璃瓦や木組、獅子像につきましては、瀋陽市から贈られたもので、滝部分などの石組や、建築物の色彩絵柄などについては瀋陽市の庭園技術指導団のご指導と、ご協力により完成したものです。


23)瀋秀園の四阿「藕香謝」。


24)瀋秀園の回廊「環碧廊」。


25)瀋秀園の四阿「知春亭」。


26)瀋秀園の橋。たぶん「柳蔭橋」です。


27)四阿「藕香謝」。


28)四阿「藕香謝」。


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