三ツ沢公園(撮影:2010年1月13日)


1)横浜市神奈川区三ツ沢西町、三ツ沢公園の東側入口。


2)『三ツ沢公園案内図』。


●神奈川県・かながわの公園50選『三ツ沢公園』(平成四年選定)

この公園の前身は、昭和十四年に造られた神奈川県護国神社の外苑で、後に運動公園として整備が進められ、昭和二十四年の国体の排球場を皮切りに、同二十六年日米対抗陸上競技大会、同三十年神奈川国体、同三十九年東京オリンピックのサッカー会場、同五十六年全国高校総合体育大会の会場となった。

その間、公園施設の整備改善が続けられ、また、樹木も茂って緑の総合競技場となった。運動施設は第一種陸上競技場、補助競技場、球技場(サッカー、ラグビー)、テニスコート(十八面、一部バレー兼用)、馬術練習場、平沼記念体育館、県立スポーツ会館、青少年野外活動センター等がある。

園の一角、樹林の中に慰霊塔があり、戦没者が祀られている。


3)公園中央の広場へ向かいます。


4)公園中央の広場に「平沼さんの像」があります。


●小泉信三『平沼さんの像』記

平沼亮三君は横浜の人、市民として生き、市長として逝く(昭和三十四年二月十三日、享年七十九)。

その貴族院及び衆議院議員として国政に参与し、土地の開発・各種会社事業等の為めに貢献した実績は殆ど一々数へ難く、更に有らゆる運動競技を自ら体験し、又、その凡ての奨励者・援助者として力の限りを尽した功労は東西絶えてその比を見ぬところであった。

君の平生恬淡洒脱、公を先にし私を後にし、常に与ふることを以て受くるよりも幸いとすること終生変らず、その人望並ぶもののなかったことは、これ素より当然のみ。

今此處に聖火を掲げて走るものは単に一個のスポーツマンでなく、眞に有道高徳の人の姿というべきであろう。


5)「平沼さんの像」。


6)「平沼さんの像」の東側に、ニッパツ三ツ沢球技場があります。

同球技場は、昭和三十年(1955年)に国民体育大会のラグビー会場として建設されました。その後、昭和三十九年(1964年)の東京オリンピックのサッカー会場として使用されたほか、現在では、サッカーJリーグや全国高校サッカー選手権の会場として使用されています。スタンドの収容能力は15,046人。四基の照明塔があります。


7)ニッパツ三ツ沢球技場。


8)ニッパツ三ツ沢球技場。


9)ニッパツ三ツ沢球技場。


10)ニッパツ三ツ沢球技場。


11)ニッパツ三ツ沢球技場。


12)「平沼さんの像」の西側に、三ツ沢公園陸上競技場があります。

同競技場は、昭和三十年(1955年)に国民体育大会のメイン会場として建設されました。日本陸連第一種競技場に指定され、県内の主力スタジアムとして使用されてきました。しかし、平成十年(1998年)に横浜国際総合競技場(現:日産スタジアム)が竣工したのに伴い、第二種競技場に指定変更されました。メインスタンドが座席、他は芝生席で、収容能力は約10,000人。四基の照明塔があります。


13)三ツ沢公園陸上競技場。


14)三ツ沢公園陸上競技場。


15)「平沼さんの像」の北側に、第一レストハウスがあります。


16)第一レストハウスから、公園北部の桜山方面へ向かいます。


17)青少年野外活動センター。


18)自由広場。階段の上は、第二レストハウス北側のテニスコートです。


19)桜山の麓の園路。


20)桜山の麓の園路。


21)桜山の麓の水路。


22)公園中央の広場から、東側入口へ戻ります。


23)東側入口の前にある、平沼記念体育館。


24)東側入口の前にある、神奈川県立スポーツ会館。


25)第二レストハウス南側のテニスコート。


26)第三レストハウス東側のテニスコート。


27)横浜市戦没者慰霊塔前の広場。


28)横浜市戦没者慰霊塔。


●横浜市『慰霊塔ご案内』

この慰霊塔は、西南戦争以来、第二次大戦にいたる戦争犠牲者二万余柱の御霊を永年安置するための慰霊塔であります。

慰霊塔は、二基の塔と、安置堂その他からなり、昭和二十八年三月、1000万円の経費にて建設されましたが、このうち700万円は、市民からの募金によったものであります。

塔は門を象徴しており、向かって左の塔は、高さ十八米で上部を欠いてあり、下部に「昭和二十年」の五文字を浮き出してあります。これは、今次大戦ではらった大きな犠牲と破壊を表したものであります。

また、向かって右の塔は高さ二十五米で新生日本が雄々しく、将来に向かって発展する姿を表したものであります。


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