湯河原の万葉公園(撮影:2010年4月19日)


1)付録:神奈川県足柄下郡湯河原町、JR湯河原駅前の『土肥實平公並夫人像』。


2)湯河原観光会館(湯河原町宮上)の駐車場の奥に、万葉公園の入口があります。


●神奈川県・かながわの公園50選『万葉公園』(平成四年)より

千歳川の流れに沿って続く湯河原温泉の中程にある公園で、その昔大倉某氏の別荘だったものを、万葉公園として町が引き継いだもの。万葉集に出てくる植物約150種を目標に植え込まれたという。

湯河原の温泉は万葉集で相模の国歌にも歌われて、万葉の時代から知られていたということから、湯河原と万葉公園との縁が頷ける。

園内の散策路は山道の風情を残して林の中に続く。絶え間ない渓流の音を耳にしながら、ゆっくりと散策するのは温泉場ならではのふるまい。

また観光会館のほか、万葉の歌碑や国木田独歩の碑、茅葺き屋根の「万葉亭」茶屋、菖蒲園、水泳プールなどがあって、湯河原を訪れる温泉客が四季折々の草花を通して、万葉の古い時代へ思いをめぐらすことであろう。


3)湯河原町『万葉公園案内図』園内掲示(部分、文字等を修整)。


4)『万葉公園入口』案内標識。画面右端に「万葉の歌碑」が少し見えます。


5)『万葉公園の万葉歌碑』説明板(抜粋)

足柄の/土肥の河内に/出づる湯の/世にもたよらに/子ろが言はなくに

万葉集・巻十四相聞・3368・詠み人知らず

「足柄(あしがり)」は足柄(あしがら)の訛りで今の足柄上・下一帯の地。「土肥(とひ)」は湯河原の呼称で今も駅付近の地区名。「河内(かふち)」は川に沿う地域で万葉公園付近、千歳川と藤木川の合流辺。「たよらに」は揺れ動き不安定なさま。

「足柄の・・・出づる湯の」までが、温泉が噴き出して中空に揺れて消えてゆくさまを叙べて、「たよらに」を修飾する序詞。「子ろ」は上代の東国方言で娘子の意。

歌意:足柄の土肥の川辺に噴出する湯煙、それが中空に漂い揺らぐように、あの娘は私との関係を不安げには言わなかったのに心配で。


【蛇足】

「世にも」は、あとに打消しの語を伴って「決して」の意味になります。

「たよら」は「たゆら」に同じで、「筑波嶺の/岩もとどろに/落つる水/世にもたゆらに/我が思はなくに」(万葉・3392)という類歌があります。

【憶測】

「たよら」なのは「出づる湯」そのものではないでしょうか。「噴出する湯煙」と解釈するのは、やや苦しい気がします。

「世にも・・・言わなくに」という強い表現は、二人の関係がすでに破局に到ったことを表わすように感じられます。

歌意試案:足柄の土肥の河内に湧き出す湯が、川の流れの中にたゆたう(揺蕩う、揺れ漂う)ような、浮気な言葉をあの娘は決して口にしなかったのに・・・彼女は私を離れ、あの男とできてしまった。


6)「万葉の歌碑」の次は、石段を登って「文学の小径」を進みます。


7)千歳川に架かる橋。


8)橋の下を流れる千歳川。


9)「文学の小径」。湯河原関係文人たちの板碑約30点が並びます。


10)茶席「万葉亭」。


11)狸福神社。


●湯河原温泉狸福神社『狸福神社の由来』境内掲示

山間の地、この湯河原に一匹の雄狸が居りました。ある日の事、土地の人達が狩猟の弓で狸を傷つけてしまいました。

雄狸は山間を流れる河原に湯の湧き出る所を見つけ、傷を癒していると、同じように足に火傷を負った雌狸が浸かりにやって来ました。

二匹の狸は来る日も来る日も傷を癒しに通ううちに、恋仲になり、やがて傷も治り、晴れて夫婦となりました。

二匹はこの湯のご恩を忘れる事なく、人に化けては湯河原の温泉のすばらしさを説き、旅人の願を叶え、福をもたらす神の使いとなり、今でも湯を守り続けて居ます。


12)「花木園」。


13)足湯施設「独歩の湯」の入口。


14)足湯施設「独歩の湯」。


15)足湯施設「独歩の湯」。


16)足湯施設「独歩の湯」。


17)太子堂。建築組合員一同が聖徳太子の偉業を敬慕して建立。


18)熊野神社。紀伊からの勧請といわれる湯の守護神、健康の守護神。


19)「月夜広場」。


20)「月夜広場」から公園を出た所に「光風荘」があります。


21)光風荘保存会『湯河原の二・二六事件』説明板

昭和十一年(1936年)二月二十六日、首都東京で、首相をはじめ政府高官の官邸、私邸が、国家改造を求める陸軍青年将校らの率いる兵1400余名の部隊に襲われ、斉藤内大臣、高橋大蔵大臣、渡辺教育総監、松尾陸軍大佐らは即死、鈴木侍従長は重傷、護衛の巡査数名死傷という大事件が起こった。

これと同時に、遠く離れたこの湯河原でも、青年将校の一人河野大尉の率いる別働隊七名が、元内大臣牧野伸顕伯爵を、静養中のこの場所伊藤屋旅館の元別館光風荘に襲い、銃撃、放火。急を知り駆けつけた地元消防団員の救出活動により、牧野伯爵とその家族は辛くも難を逃れたが、付添の森看護婦は銃創、護衛の皆川巡査は銃弾に倒れ、後に焼死体で発見されるという事態に到った。

また牧野伯爵を助け出した前第五分団長(現温泉場分団)岩本亀三は銃創、消火に当たった消防団員も負傷するなどのほか、銃剣をも恐れぬ地元消防団員らの勇敢な救出消火活動があった。

これらの事実は、湯河原の歴史の一こまとして湯河原町民の心意気と共に後世に永く語り伝うべきものである。

平成十四年二月二十六日、郷土史研究家・高橋徳


22)「月夜広場」付近から「光風荘」背後の稜線を望みます。


23)前画面の右へ移動。緑の建物はアーバンヴィラ湯河原と思われます。


24)前画面の右上へ移動。山頂下のガードレールは椿ラインと思われます。


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