八菅山いこいの森(撮影:2010年6月2日)


1)神奈川県愛甲郡愛川町、中津川に架かる八菅橋から、上流を望みます。


2)八菅橋から、下流を望みます。


3)中津川東岸から、西岸の八菅山頂上付近を望みます。


4)中津川東岸から、西岸の八菅山いこいの森入口付近を望みます。


5)八菅山いこいの森入口の標柱。


●神奈川県・かながわの公園50選『八菅山いこいの森』(平成四年)より

八菅神社周辺の山林22.6ヘクタールが自然とのふれあいの場として整備された。

八菅神社は、応永二十六年(1419年)の八菅勧進帳によれば行基菩薩の開創と記され、50余の院坊があった山伏の修験道場である。社殿は300段の石段の上にあり、三月二十八日の例祭に修験の秘法、火渡大護摩供養が見られる。

県指定天然記念物のスダジイの林のほかに、モミやアカマツ林、かつて薪炭用に育てられたクヌギやコナラなどの落葉樹林が広がり、ヤマユリ、ホタルブクロ、アジサイ等の野生植物、さらにはトンボの池でガマ等の湿生植物が見られる。

林内には30ポイントのアスレチックコースがあるほか、西部の高台の展望台からは雄大なパノラマを楽しめる。


6)愛川町『八菅山いこいの森案内図』園内掲示(青空博物館・芝生広場前)

八菅神社の奥の森の中に、お花見広場、やすらぎの広場、展望台の広場、みずとみどりの青空博物館などの施設が設けられています。


7)八菅神社入口の鳥居と狛犬。


8)八菅神社『八菅山・標高二二五米』境内掲示

八菅山(はすげさん)は、古名を蛇形山といった。むかし日本武尊が坂本(現在の中津坂本地区)でこの山をながめられ、山容が竜に似ているところから名付けられた。そしてこの山中には蛇体の各部分にあたる池の名が今も残っている。

大宝三年(703年)修験道の開祖・役の小角(役の行者)が日本武尊の神跡をたずね、この山に国常立尊ほか六神を祀り修法を行った。そのとき八丈八手の玉幡が山中に降臨し、神座の菅の菰から八本の根が生え出たという。そこで山の名を八菅山とよぶようになった。これが八菅神社のはじまりであると伝えられている。

この八菅山を前にした丹沢山塊一帯は山岳信仰の霊地として、修験者(山伏)たちの修業道場として盛んであった。この連なる山々に幣山、法華峯、経ケ岳、華厳山、法論堂など今も残る名は、巡峯の要所であったことを教えてくれる。


9)八菅神社のおみ坂。


10)八菅神社の手水舎。


11)八菅神社『八菅神社(八菅山七社権現)』境内掲示

祭神:
国常立尊・金山毘古命・大己貴命・日本武命・伊邪那岐命・誉田別命・伊邪那美命

八菅神社の祭神は、日本武尊と役の小角(役の行者)によって七神が祀られた。これを総称して八菅山七社権現といった。そして信仰の対象は日本固有の神と仏菩薩とは一体であるという思想にもとづいて祀られた社で、この八菅の霊地を護持する人たちを修験(法印)といい、社内の院や坊に拠っていた。

源頼朝の大日堂寄進、足利尊氏による社頭の再建、足利持氏の再興で一山の伽藍が整ったが、永正二年(1505年)本社・諸堂を兵火で失った。その後、天文十年(1541年)再建、天正十九年(1591年)には徳川家康により社額を給せられた。

やがて明治維新の神仏分離令により仏教関係すべてが禁じられ、神のみを祀った八菅神社として発足、修験の人たちはみなこの地に帰農した。


12)八菅神社の覆殿。殿内に権現の七社が収められています。


13)八菅神社から、お花見広場へ向かいます。


14)お花見広場。


15)お花見広場から、やすらぎの広場へ向かいます。


16)やすらぎの広場。


17)やすらぎの広場から、展望台の広場へ向かいます。


18)展望台の広場。


19)展望台から北東に、愛川町中央部を望みます。


20)展望台から東に、愛川町南部を望みます。


21)展望台から南東に、中津川下流を望みます。


22)やすらぎの広場へ戻り、ここから青空博物館へ向かいます。


23)カエデの小径を降ります。


24)青空博物館のあずまや。


25)青空博物館のあずまや。


26)青空博物館のトンボの池。


27)トンボの池のミヤマカワトンボ。


28)青空博物館の芝生広場。奥にカエルの池があります。


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