田名向原遺跡(撮影:2010年6月17日)


1)相模原市中央区田名塩田、史跡田名向原遺跡旧石器時代学習館。


2)学習館の入口。館内は撮影禁止です。


●相模原市『史跡田名向原遺跡旧石器時代学習館(旧石器ハテナ館)』

史跡田名向原遺跡旧石器時代学習館は、全国的にも数少ない旧石器時代をテーマにした施設です。

史跡田名向原遺跡(しせきたなむかいはらいせき)は、発見された旧石器時代の住居状遺構から、人類の定住化の歴史を語る重要な遺跡として保存されており、平成十一年一月二十八日に国の史跡指定を受けました。

この学習館では旧石器時代を中心に縄文時代や古墳時代まで学べる展示室、講演・講座・体験教室等に利用できる実習・講習室などがあり、歴史や文化財について学ぶことのできる施設です。

また、野外展示では旧石器時代の住居跡、縄文時代の竪穴住居、古墳時代の小円墳が復元されています。


3)学習館を見学したら、前の道路へ出ます。


4)道路の向かい側に、史跡田名向原遺跡公園(野外展示)があります。


5)『史跡田名向原遺跡公園案内図』園内掲示。

左寄りに後期旧石器時代の住居状遺構(復元)、中央上寄りに縄文時代の竪穴住居(復元)、右寄りに古墳時代の三基の小型円墳(復元および位置表示)があります。


6)後期旧石器時代の住居状遺構(復元)。


7)『住居状遺構(復元)』説明板

平成九年三月に発見された約20,000年前の後期旧石器時代の住居跡と考えられる遺構(痕跡)を復元したものです。

礫群(小石が集中している場所)や石核(石器の素材をはがし取った石)などによって直径約10メートルの外周をめぐらした範囲から、二ケ所の炉(火をたいた場所)や十二本の柱穴の跡が確認されました。

加えて約3,000点もの石器類が発見されたことから、人類定住の可能性を示す遺構として注目され、平成十一年一月二十八日に国の史跡として指定されました。


8)後期旧石器時代の住居状遺構(復元)。柱穴の位置がプレートで示されています。


9)後期旧石器時代の住居状遺構(復元)。たぶん、外周の円礫群です。


10)地層・黒曜石の展示パネル(地表~関東ローム層)。


11)『遺跡の地層と黒曜石の産地推定』説明板

住居状遺構から出土した石器の石材、黒曜石を蛍光X線分析により産地推定した結果、神津島エリアを除く中部・関東地方すべての産地エリアの黒曜石が確認されました。

最も多く検出されたのは長野県の蓼科エリアのもので、次いで天城、箱根、和田、諏訪、高原山エリアのものが続きます。


12)黒曜石の標本。


13)『竪穴住居(復元)』説明板

平成八年から十年にかけて、遺跡公園の東側の道路建設の調査で発掘された約5,000年前の縄文時代中期の竪穴住居を復元したものです。

直径約3.0メートルの円形の竪穴住居の中央には、石で囲われた炉(火をたいた場所)と、炉跡を囲むように五本の柱穴が発見されました。

勝坂遺跡をはじめ、市内各地で確認される縄文時代中期の住居跡としては、比較的小型の竪穴住居跡です。


14)縄文時代の竪穴住居(復元)。


15)『谷原12号墳(復元)』説明板

平成六年三月、遺跡公園の北方約60メートルの地点で発掘された約1,400年前の古墳時代後期の小型円墳を復元したものです。

古墳の石室(埋葬者の棺を納める場所)からは、直刀(反りのないまっすぐな刀)や鏃(矢の先端)などの武具や、装身具(アクセサリー)の切子玉などが発見されました。

田名塩田から当麻谷原にかけて確認される十数基の古墳は、谷原古墳群と総称され、公園内に二基(谷原13号墳、14号墳)が保存されています。


16)谷原12号墳(復元)。


17)谷原12号墳(復元)の入口部分。


18)谷原13号墳(位置表示)。


19)谷原14号墳(位置表示)。


20)地層展示パネル(関東ローム層~段丘礫層)。公園南端の道路沿いにあります。


21)『遺跡が立地する段丘の地層(複製)』説明板

この展示パネル下半分の段丘礫層(砂と礫の層)は、約二万年前にこの場所に相模川が流れていたことを語る地層です。

中ほどに見える火山泥流層(黒い地層)は、富士山から川沿いに怒涛のように流れ出た堆積物です。

旧石器時代の住居状遺構が発見された暗黄褐色のローム層には、河原からの砂と火山灰が混じっており、当時河原が浅く近かったことを示しています。

上層の黄褐色のローム層は、18,000年前以降に富士山からの火山灰が降ってできた層(関東ローム層の上部)です。

これらの地層と遺構の関係から、相模川が河床を掘り下げ始め、火山泥流の堆積後、石器を使う人々が来て、住居状の遺構を残したことがわかります。


22)史跡田名向原遺跡公園から、相模川を望みます。


23)史跡田名向原遺跡公園から、相模川を望みます。


●文化庁『田名向原遺跡』解説文

山中湖を水源として相模湾に流れる相模川と城山湖付近を水源とする境川に挟まれた相模野台地には、後期旧石器時代の遺跡が多数分布する。この南部に相模原市があり、市の西端に田名向原遺跡が位置する。この地域に組合施工による約53ヘクタールの区画整理事業が計画され、本遺跡ほかの事前発据調査が田名塩田遺跡群発掘調査団によっで実施された。

本遺跡は、相模川左岸の比高11メートルの低位段丘上に立地するが、遺跡の川寄りでは水成層が堆積し始め、相模川の下刻を考慮すれば後期旧石器時代には相模川べりに位置していた。地表から探さ2.5メートルの約1万5千年前の地層から、各二ケ所の石器集中地点と礫群、一棟の建物跡が発見された。建物跡と考えられる地点からは、径約10メートルの範囲に主に黒曜石製の180点ほどの石槍、少量のスクレイパーとナイフ形石器、製作の際に生じた多量の石核や剥片など、合計3,000点近くの石器が出土した。周囲には多孔質安山岩の拳大の礫、敲石・磨石・台石など約130点と、凝灰岩の石核・大型剥片と原石など合計約220点が環状に巡っていた。内部の十ケ所には柱穴と考えられる径30~60センチメートルの褐色部がほぼ等間隔で円形に並び、その内側にも二ケ所発見された。またほぼ中央部には径90と65センチメートルの二ケ所の焚き火跡が確認された。なお多量に出土した黒曜石製石器と本遺跡から150メートル離れた同時期の地点から発見された9点の黒曜石原石は、信州産が主体であり同地域との強い結びつきがうかがえる。

旧石器時代の人々は遊動生活を送り、落し穴・礫群・石器集中地点を除けば、ほとんど土地に生活痕跡を残さない。このような状況の中、旧石器時代末に当たる本遺跡の遺構は、炉跡、柱穴と思われる穴、外周の円礫群などを持つ日本最古の確実な建物跡である。相模川べりにあるという特色を持ち、その大きさや二基の地床炉をもつなどの特殊性から見て、川を遡上するサケの捕獲を目的に逗留し、解体・加工した作業場的建物と推定することもできる。晩氷期の温暖化とともに遺跡は川筋の低地に進出し、集団による内水面漁労が定住への契機になったと考えられている。また信州系を主体として箱根系の黒曜石も搬入されており、当時の集団の移動の実態と川べりでの生業・生活の様相を知るなど、旧石器時代から縄文時代の過渡期における歴史的発展の経緯を伺わせる貴重な遺跡である。よって史跡に指定し保護しようとするものである。


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