藤沢山清浄光寺(撮影:2010年11月10日)


1)藤沢橋付近から、藤沢市西富の遊行寺(清浄光寺)を望みます。


●遊行寺『時宗総本山・遊行寺』

遊行寺と呼ばれ、親しまれているこのお寺は、時宗の総本山で藤沢山無量光院清浄光寺というのが本当の名前ですが、時宗の法主が遊行上人といわれるところから遊行上人のおいでになるお寺ということで、遊行寺と呼ばれるようになりました。

また、藤沢は遊行寺の門前町として生まれ、藤沢山の山号が町の名となり、やがて東海道の宿場町に発展し、今日の藤沢市となりました。


2)境川に架かる遊行寺橋を渡ります。


3)総門(黒門)。


4)参道四十八段(いろは坂)。


5)境内の大銀杏。


6)宗祖・一遍上人像。


7)宗祖・一遍上人像。


●遊行寺『遊行上人と遊行寺』

遊行寺は時宗の総本山であり、一遍上人を宗祖と仰ぎます。一遍上人は、寺院を建立することなく、その生涯を日本全国、一人でも多くの人々に念仏をすすめて歩かれました。

その志をつぎ、遊行を代々相続する方を遊行上人とお呼びします。その遊行上人が、遊行をやめられて定住されることを独住といいます。

遊行四代呑海上人は正中二年(1325年)に、もと極楽寺の旧跡に寺を建てて独住されました。それが遊行寺のはじまりです。

遊行の法燈をつがれて、念仏をすすめて歩かれる方を遊行上人といい、遊行の世代を次の方にゆずられて、遊行をやめて藤沢山・遊行寺に独住された上人を藤沢上人といいます。そして現在では一人の上人が遊行上人と藤沢上人の両方を兼ねておられます。


8)遊行寺本堂。


9)遊行寺本堂。本尊の阿弥陀如来と、開山の呑海上人を祀ります。


10)本堂前の香炉。


11)本堂正面の階段。


12)寺務所。


13)中雀門。


●遊行寺『中雀門』

遊行寺境内の建造物の中でもっとも古く、紀伊大納言・徳川治宝公の寄進により、安政六年(1859年)に建てられました。

この門は四脚門で、高さ6メートル、幅2.7メートルです。船橋国造・菅原義正作とされるフクロウの彫刻は特に素晴らしいものです。

明治の大火は免れましたが、関東大震災で倒壊しました。その後、以前の姿そのままに再建されました。平成二十年四月大改修完成。


14)放生池。


●遊行寺『放生池』

元禄七年(1694年)五代将軍徳川綱吉の時代、生類憐れみの令発布にともない、次のような御触が出されました。

江戸市中の金魚(赤色)・銀魚(白色)を所持いたすものは、その数など正直に報告し差し出すべし。

こうして江戸市中の金魚・銀魚が集められ、この遊行寺の池に放生されました。現在も、毎年、春季開山忌開闢の日に放生会がこの放生池で行われています。


15)鐘楼堂。


16)鐘楼堂の延文の鐘。


●藤沢市教育委員会『県指定重要文化財・清浄光寺銅鐘』説明板

鋳造は、銘文によると延文元年(1358年)。遊行八代渡船上人の時にあたる。遊行寺開山以来、ようやく時宗が隆盛期に達した時代であった。

冶工は、中世の関東地方で活躍した鋳物師の物部氏の一人、光連と考えられる。この他の光連の遺作には伊勢原市日向宝城坊の暦応三年(1340年)銘梵鐘、鎌倉市東慶寺蔵の観応元年(1350年)銘梵鐘がある。

この銅鐘は、五段五列の乳の配列、上帯の飛雲文、下帯の蓮華唐草文、撞座の蓮華文などに物部様式の特徴を持つが、竜頭部や宝珠の表現にはすでに形式化がみえる。

銅鐘の銘文は、藤沢市伝来の梵鐘の中で最古のものであり、中世の時宗の姿や遊行寺を有する当時の藤沢の様子をつたえる貴重な史料である。

この銅鐘は、永正十年(1513年)に後北条氏によって小田原へ持ち去られ、陣鐘として使用された。さらに足柄下郡の寿昌寺に移転されたが、江戸時代初めの寛永三年(1626年)、遊行寺の檀徒の手により取り戻され、再びここに設置されたものである。


後編「藤沢敵御方供養塔」もご参照ください。

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