剱崎(撮影:2010年12月24日)


1)三浦市南下浦町松輪、京浜急行バスの「剱崎」バス停。


2)バス停付近の大根畑。剱埼灯台へ向かいます。


3)大根畑が続きます。


4)道の途中で見えた海岸線。


5)道の途中で見えた海岸線。


6)剱埼灯台に近付いてきました。


7)剱埼灯台。地上から灯台頂部までの高さは17メートルです。


8)剱埼灯台。水面から灯火までの高さは約41メートルになります。


9)剱埼灯台。光の強さは48万カンデラ、光の届く距離は約32キロメートルです。


10)海上保安庁『剱埼(つるぎさき)灯台・東京湾の入り口にある灯台』説明板

この灯台は、慶応二年(1866年)の江戸条約に基づき、明治政府が明治四年(1871年)に設置したもので、三浦半島の南東端に位置し、対岸の房総半島にある洲埼灯台と対で東京湾の入り口を表しています。

晴れた日は灯台から、房総半島の館山から伊豆大島、新島さらに伊豆半島までを展望できます。

剱埼の名称は、萬治(1660年)の頃、徳川幕府の官財を積んだ船が岬の沖で難破した時、岬の突端から海南神社の神主が剣を海に投じ、龍神の怒りを鎮めたことから生じたといわれています。


11)剱埼灯台の敷地から、間口湾の対岸を望みます。


12)剱埼灯台の敷地から、間口漁港の入口を望みます。画面右下は間口港灯台です。


13)剱埼灯台の下の海岸へ出ます。


14)剱埼灯台の下の海岸。石碑と説明板が見えます。


15)『かながわの景勝50選・剱崎』石碑。


16)環境省・神奈川県『剱崎(つるぎざき)の由来』説明板

剱崎の名の起りは、徳川時代の萬治年間であるといわれている。徳川幕府の官材を積んだ五百石船が、この沖で暴風のため難破し。木材もろとも船は海底に沈んだ。そこで海南神社の神主が海に剣を投じて龍神の怒りを鎮めてもらおうと祈ると、すぐに風波が静まり、沈んだ官の木材がことごとく浮び出たという。それをくり船で磯に運んだという。これにより、この地を剱崎というようになったと伝えられている。

また、断崖の上に立つ灯台は、明治四年に点灯、震災で破損後、大正十五年に再建され、千葉県野島崎灯台とともに東京湾の重要な灯台です。


17)剱埼灯台の下の海岸。岩礁です。


18)剱埼灯台の下の海岸。小規模な海食台です。


19)剱埼灯台の下の海岸。小規模な砂浜です。


20)剱埼灯台の下の海岸から、間口漁港の入口を望みます。


21)いったん剱埼灯台へ戻り、高台から回り込んで間口漁港を訪ねます。


22)間口漁港。


23)間口漁港の埠頭から、剱埼灯台を望みます。画面左端に間口港灯台が見えます。


24)間口漁港東端の磯から、剱埼灯台を望みます。


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