六歌仙


■六歌仙

六歌仙は『古今和歌集』の仮名序において紀貫之が「近き世にその名きこえたる人」として掲げた六人の歌人のことです。古今集に収録された歌人群のなかでは、撰者たちよりもひと時代前のグループにあたります。


■時代

六歌仙の時代の上限と下限を区切ると、平安遷都(794年)から古今集撰集(905年)までの約一世紀間になります。この時期に藤原氏は冬嗣、良房、基経らの画策によって朝廷での権力基盤を確立します。六歌仙に撰ばれている人々はいずれも藤原氏に恨みを持つものであるという説があります。


■僧正遍昭

遍昭は、桓武天皇の孫にあたります。寵遇を受けた仁明天皇の死去により出家しました。花山の元慶寺を建立し、花山僧正と呼ばれました。高貴の生まれの歌僧という恰好の性格を備えた人物のため、多くの説話が残されています。仮名序は次のように評しています。

僧正遍昭は、歌のさまは得たれども、まことすくなし。たとへば、絵にかける女を見て、いたづらに心を動かすがごとし。

あさみどり 糸よりかけて 白露を
玉にもぬける 春の柳か

蓮葉の にごりにしまぬ 心もて
なにかは露を 玉とあざむく

嵯峨野にて馬より落ちてよめる、
名にめでて 折れるばかりぞ 女郎花
われ落ちにきと 人にかたるな


■在原業平

業平は、平城天皇の第一皇子を父、桓武天皇の皇女を母として生まれました。臣籍降下して兄行平らとともに在原氏を名乗りました。仁明天皇の蔵人となり、その後、文徳天皇の皇子惟喬親王に仕えました。美男の代名詞のようにいわれ、早くから『伊勢物語』の主人公と同一視されてきました。仮名序は次のように評しています。

在原業平は、その心あまりて、ことば足らず。しぼめる花の色なくて、匂ひの残れるがごとし。

月やあらぬ 春やむかしの 春ならぬ
わが身ひとつは もとの身にして

おほかたは 月をも賞でじ これぞこの
つもれば人の 老いとなるもの

寝ぬる夜の 夢をはかなみ まどろめば
いやはかなにも なりまさるかな


■文屋康秀

康秀は、文屋宗于の子です。官人としては卑官に終始したと言い慣わされています。小野小町と親密になり、三河国に赴任する際に小町を誘ったとされています。仮名序は次のように評しています。

文屋康秀は、ことばはたくみにて、そのさま身におはず。いはば、商人の、よき衣着たらむがごとし。

吹からに 野辺の草木の しをるれば
むべ山風を 嵐といふらむ

深草帝(仁明天皇)の御国忌に、
草ふかき 霞の谷に かげかくし
照る日の暮れし 今日にやはあらぬ


■喜撰法師

喜撰については、宇治山に住んでいた僧であるという事以外は不明とされています。仮名序は次のように評しています。

宇治山の僧喜撰は、言葉かすかにして、初め終りたしかならず。いはば、秋の月を見るに、暁の雲にあへるがごとし。

わがいほは 都の辰己 しかぞ住む
世を宇治山と 人はいふなり


■小野小町

小町は、小野篁の息子である出羽郡司小野良真の娘とする説があります。仁明天皇の更衣だったらしく、文徳天皇の頃にも仕えていたらしいとされています。絶世の美女として数々の説話が残っています。仮名序は次のように評しています。

小野小町は、いにしへの衣通姫の流なり。あはれなるやうにて、つよからず。いはば、よき女のなやめる所あるに似たり。つよからぬは、女の歌なればなるべし。

おもひつつ 寝ればや人の 見えつらむ
夢と知りせば 覚めざらましを

色みえで うつろふものは 世の中の
人の心の 花にぞありける

わびぬれば 身を浮き草の 根をたえて
誘ふ水あらば いなむとぞ思ふ


■大友黒主

黒主は、「滋賀郡大領従八位上大友村主黒主」(天台座主記・安慧和尚譜)という記録から、渡来人の子孫である大友村主氏の一族であると推定されています。生没年不詳、伝不詳です。仮名序は次のように評しています。

大友黒主は、そのさま、いやし。いはば、薪をおへる山人の、花の陰に休めるがごとし。

思ひ出でて 恋しきときは 初雁の
泣きてわたると 人は知らずや

鏡山 いざ立ち寄りて 見てゆかむ
年へぬる身は 老いやしぬると


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