アレクサンドロス大王


■誕生

アレクサンドロスは、紀元前356年、マケドニア王国の首都ペラにおいて、マケドニア王フィリッポス二世とエピロテ王女オリンピアスの間に生まれました。

図は、ペラ博物館所蔵『ライオンと闘うアレクサンドロス』です。


■家庭教師アリストテレス

マケドニア王の侍医の息子アリストテレスは、プラトンが主催する学園アカデメイアの教師としてアテナイに留まっていました。プラトンが死んだ紀元前347年、マケドニア王フィリッポス二世の招聘により、王子アレクサンドロスの家庭教師となります。アリストテレスは弁論術、文学、科学、医学、哲学を教えました。紀元前335年、王子が即位すると、アテナイに戻り、自らの学園リュケイオンを開きます。


■マケドニア式ファランクス

父フィリッポス二世は、テーバイの人質時代に、長槍を携えた重装歩兵の密集陣形であるファランクスを学び、さらに長い槍サリッサの採用および方陣の大型化により、マケドニア式のファランクスを創始します。当時この新戦術は無敵であり、全ギリシアの征服だけでなく、息子アレクサンドロスによるペルシア帝国征服をも成し遂げさせます。マケドニア式のファランクスは、ローマ軍の散開戦術に敗れるまで、200年近くにわたって地中海世界周辺を制覇します。


■王位継承

紀元前338年、アレクサンドロスは父フィリッポス二世に従ってギリシアに出兵し、カイロネイアの戦いでアテナイ・テーバイ連合軍を破ります。父フィリッポス二世は、全ギリシアの覇権を握ると、ペルシャ遠征を計画しますが、紀元前336年に暗殺されます。

20歳の若さでマケドニア王を継承したアレクサンドロスは、敵対者を排除してマケドニアを掌握し、父王暗殺後に混乱に陥っていた全ギリシアに再び覇を唱えます。ギリシアの諸ポリスと同盟したアレクサンドロスは、父の遺志を継いで紀元前334年にギリシア軍を率いてペルシャ遠征に出発します。

図は、大英博物館所蔵『アレクサンドロス大王』です。


■グラニコス川の戦い

紀元前334年、小アジアに渡った三万のギリシャ軍は、グラニコス川の戦いで、ミトリダテスの率いる四万のペルシャ軍と対峙します。派手な甲冑を纏ったアレクサンドロスは騎兵の先頭に立ち、自ら馬を駆って突進すると、敵将ミトリダテスを投げ槍でしとめます。アレクサンドロスに率いられるギリシア軍は、小アジアに駐屯するペルシャ軍を蹴散らしながら東進を続けます。

図は、ル・ブラン作『グラニコス川の戦い』です。


■ゴルディオスの結び目

紀元前333年、アレクサンドロスがペルシャ領であるリュディア王国の首都ゴルディオンを占領した時、町の中心にあるゼウス神殿に一台の古い戦車が祀られていました。その戦車は「ゴルディオスの結び目」と言われる複雑に絡み合った縄で結わえられており、この結び目を解いたものがアジアの支配者になるという伝説が伝えられていました。その伝説を耳にしたアレクサンドロスは、腰の剣を振り上げ、一刀のもとに結び目を切断します。アレクサンドロスは、運命とは伝説によってもたらされるものではなく、自らの剣によって切り拓くものであると兵たちに宣言します。

図は、ベルテルミイ作『ゴルディオスの結び目を切断するアレクサンドロス』です。


■イッソスの戦い

紀元前333年、アレクサンドロスはアンティオキアの北西イッソスにおいて、ダレイオス三世自らが率いる十万のペルシャ帝国軍と遭遇します。アレクサンドロスは騎兵とファランクスを縦横無尽に指揮してペルシャ軍を敗走させ、ダレイオスの母・妻・娘を捕虜にします。ペルシャからの和睦の申し出を拒否し、さらに進軍を続けます。

図は、ナポリ国立考古学博物館所蔵『イッソスの戦い』です。


■エジプトの征服

アレクサンドロスは、シリアとフェニキアを屈服させると、南下してエジプトに侵入します。紀元前332年、エジプト人に解放者として迎え入れられたアレクサンドロスは、ファラオとして認められ、アメン神殿にその像が祭らます。アレクサンドロスは、ナイルデルタの西端に新しい都市アレクサンドリアを建設する計画を立てます。

エジプトの地で将兵に充分な休養と補給を施したアレクサンドロスは、ペルシャ帝国への遠征を再開します。


■ガウガメラの戦い

紀元前331年、四十七万のギリシア軍は、チグリス川上流のガウガメラで、二十万とも三十万ともいわれたダレイオス三世指揮下のペルシャ軍を敗走させます。

図上は、カステーニュ作『ガウガメラの戦いで突撃するペルシャの鎌戦車』です。

図下は、『ガウガメラで戦うアレクサンドロスとダレイオス』です。


■ペルシャ帝国の滅亡

ダレイオスがカスピ海東岸に逃れると、ペルシャ帝国はもはや風前の灯火となります。ペルシャ帝国の中枢に乱入したギリシア軍は、バビロンやスーサなどの主要都市を略奪し、ペルセポリスを徹底的に破壊して焼き払います。

紀元前330年、ダレイオス三世が王族で側近であったベッソスによって暗殺されると、アレクサンドロスはベッソスの不義不忠を糾弾してこれを攻め、ダレイオスの遺骸を丁重に葬ります。

図は、シピエ作『ペルセポリスの鳥瞰復元図』です。


■ソグディアナの征服

ベッソスを追討しつつ中央アジア方面へ侵攻したアレクサンドロスは、スピタメネスを中心とするソグド人による激しい抵抗に直面します。マケドニア軍は、紀元前329年から紀元前327年まで、ソグディアナとバクトリアにおける過酷な対ゲリラ戦を強いられます。

紀元前328年、アレクサンドロスは、帰順したこの地方の有力者オクシュアルテスの娘ロクサネを妃とします。

図は、ロータリ作『アレクサンドロス大王とロクサネ』です。


■インド遠征と帰還

ペルシャ帝国を征服したアレクサンドロスは、次にインドへの遠征を目指します。紀元前326年、インダス川を越えてパンジャブ地方に侵入し、ヒュダスペス河畔でパウラヴァ族の王ポロスを破ります。さらにインド中央部に向かおうとしますが、部下が疲労を理由にこれ以上の進軍を拒否したため、やむなく兵を返すことにします。アレクサンドロスはインダス川を南下し、全軍を三つに分割して残存する敵対勢力を駆逐しながら、紀元前323年にスーサに帰還します。

図は、ル・ブラン作『ヒュダスペスの戦いにおけるアレクサンドロスとポロス』です。


■大王の急逝と帝国の行方

バビロンに戻ったアレクサンドロスは、アラビア遠征を計画しますが、ある夜の祝宴中に突然倒れます。高熱に10日間うなされ、「最強の者が帝国を継承せよ」と遺言して死去します。

アレクサンドロスの後継者を名乗るアンティゴノス、プトレマイオス、エウメネス、カッサンドロス、リュシマコス、セレウコスらの諸将によってディアドコイ戦争が勃発し、残された大帝国は分裂します。王妃ロクサネ、王子アレクサンドロス四世、庶子のヘラクレスは、ディアドコイ戦争の混乱期に殺されます。


【グレゴリウス講座について】

当サイトの「グレゴリウス講座」は、関心を持ったテーマをミニプレゼンテーションにまとめることを試みています。内容の妥当性を心がけていますが、素人の判断の域を出ませんので、ご了承ください。

このページの作成には、画像も含め、おもにWikipediaを利用しました。ただし、忠実な引用ではない場合があります。


◇HOME:グレゴリウス講座