鎌倉七口


鎌倉七口の一覧

■鎌倉七口

源頼朝は、三方を山に囲まれた天然の要害である鎌倉に、幕府を開きました。幕府の発展とともに、鎌倉の出入口として、平時には交通の便をはかり、戦時には敵の侵入を防ぐため、切通を備えた路が整備されていきました。

鎌倉に関東管領が置かれた室町時代にも、これらの路は、軍事・経済の両面で重要な役割を担いました。

江戸時代に鎌倉が観光地化すると、京都の七口からの連想で、鎌倉の出入口も七つあると謳われるようになりました。


鎌倉七口の位置

■鎌倉七口の位置

鎌倉七口のおよその位置を、国土地理院の航空写真にプロットします。鎌倉を囲む山の稜線上に並んでいることが納得されます。


鎌倉七口の経路

■鎌倉七口の経路

鎌倉七口の経路を示す概念図を作成してみました。鎌倉の外側には、主要な五本の街道が伸びています。七口のそれぞれに対応する七本の街道があったわけではありません。

また、五本の街道に通じる七口以外の出入口や、鎌倉の内側の谷戸と谷戸を結ぶ多くの切通が存在したと考えられます。


稲村ヶ崎(由比ヶ浜より)

■稲村路

稲村路は、鎌倉の西側の岬を越えて、七里ヶ浜に至ります。鎌倉七口には数えられませんが、古東海道ないし京鎌倉往還の重要な経路でした。

写真は、由比ヶ浜から稲村ヶ崎を望みます。


極楽寺坂

■極楽寺坂

鎌倉七口のひとつ、極楽寺坂ないし極楽寺切通は、坂ノ下から極楽寺を経て、七里ヶ浜に至ります。そこから、腰越・片瀬を経て、東海道を京の都へ上ります。

極楽寺切通は、極楽寺開山として文永四年(1267年)に入寺した忍性によって開かれたとされます。元弘三年(1333年)に新田義貞が鎌倉に討ち入った際は、激戦地のひとつとなりました。

写真は、現在の極楽寺坂の峠付近です。


大仏坂

■大仏切通

鎌倉七口のひとつ、大仏切通は、かっては深沢切通とも呼ばれ、長谷(甘縄)から常盤を経て、深沢に至ります。

大仏坂ないし大仏切通について、鎌倉時代の記録は見つからないそうです。

写真は、現在の大仏坂の峠付近です。切通路は、トンネルの上に残っています。


梶原方面(化粧坂上より)

■化粧坂

鎌倉七口のひとつ、化粧坂(仮粧坂)は、扇ヶ谷から梶原を経て、深沢に至ります。そこから、藤沢を経て、武蔵国府に達し、さらに上野・信濃・越後方面へ通じます。

化粧坂上は、武蔵方面との物流の拠点として賑わいました。元弘三年(1333年)に新田義貞が鎌倉に討ち入った際は、激戦地のひとつとなりました。

写真は、化粧坂上から、梶原方面を望みます。


亀ヶ谷坂

■亀ヶ谷坂

鎌倉七口のひとつ、亀ヶ谷坂は、扇ヶ谷と山ノ内を結びます。扇ヶ谷では、化粧坂に接続します。山ノ内では、雪ノ下から巨福呂坂を越えてきた鎌倉街道に合流します。

写真は、亀ヶ谷坂の峠付近の切通です。


巨福呂坂

■巨福呂坂

鎌倉七口のひとつ、巨福呂坂は、雪ノ下から山ノ内に至ります。そこから、武蔵・奥州方面へ通じます。

仁治元年(1240年)に三代執権の北条泰時が整備を命じた「山内路」は、巨福呂坂または亀ヶ谷坂のどちらかと考えられています。元弘三年(1333年)に新田義貞が鎌倉に討ち入った際は、三手に分けた軍のひとつを巨福呂坂へ差し向けたとされます。

写真は、現在の巨福呂坂の峠付近です。切通路は、落石防護施設(巨福呂坂洞門)の真上あたりを通っていました。


朝夷奈切通

■朝夷奈切通

鎌倉七口のひとつ、朝夷奈切通は、相模国鎌倉郡と武蔵国久良岐郡の境界に位置し、十二所から六浦に至ります。そこから、房総方面や常陸方面へ通じます。

六浦は、塩の産地であり、安房・上総・下総方面からの物資集散の港でした。鎌倉幕府は仁治元年(1240年)に「六浦路」の改修を議定、翌年四月から工事にかかりました。三代執権の北条泰時が自ら工事を監督しました。

写真は、朝夷奈切通の峠付近です。現在は、鎌倉市と横浜市の境界になっています。


鎌倉市街(名越切通より)

■名越切通

鎌倉七口のひとつ、名越切通は、鎌倉郡と三浦郡の境界に位置し、大町から逗子に至ります。そこから、葉山を経て、衣笠・浦賀方面や三崎方面へ通じます。

鎌倉時代以前からこの地に勢力を持った三浦氏にとって、杉本城と衣笠城を結ぶ重要な経路だったとされます。

写真は、名越切通から鎌倉市街を望みます。


釈迦堂口切通

■釈迦堂口切通

釈迦堂口切通は、鎌倉の内側の谷戸と谷戸を結ぶ切通のひとつです。大町から浄明寺へ抜けます。

三浦氏にとって、衣笠城から名越切通を経て鎌倉に入った後、杉本城に至る要路に位置したとされます。

写真は、釈迦堂口切通の浄明寺側です。


小坪方面(由比ヶ浜より)

■小坪路

小坪路(小壷坂)は、鎌倉の東側の岬を越えて、葉山に至ります。鎌倉七口には数えられませんが、古東海道ないし三浦往還の重要な経路でした。

写真は、由比ヶ浜から小坪方面を望みます。


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このページは、グレゴリウス写真館「鎌倉幕府」<鎌倉七口>シリーズのプレゼンテーションとして作成しました。


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