渚の院・小野の雪(伊勢物語)


伊勢物語・渚の院・系譜

●はじめに

在原業平は、平城天皇第一皇子の阿保親王を父、桓武天皇皇女の伊都内親王を母として生まれます。父の阿保親王は、平城太上天皇の変(薬子の変)に連座して、すでに皇嗣への道を絶たれていました。業平は、兄の行平とともに臣籍に降下して、在原氏を名乗ります。

惟喬親王は、紀静子を母とする文徳天皇第一皇子です。藤原明子を母とする第四皇子の惟仁親王が、三人の兄を越えて、清和天皇として即位します。藤原氏の権勢下で皇嗣への道を絶たれた惟喬親王は、在原業平や紀有常など近縁の腹心との交遊によって憂悶を慰めます。そしてついに、出家して小野に隠棲します。

以下に伊勢物語第八十二段「渚の院」および第八十三段「小野の雪」の本文を参照します。図は、東京国立博物館所蔵「異本伊勢物語絵巻(模本)」です。


異本伊勢物語絵巻(東京国立博物館)

●渚の院(伊勢物語第八十二段)

昔、惟喬の親王(これたかのみこ)と申す親王(みこ)おはしましけり。山崎のあなたに、水無瀬といふ所に、宮ありけり。年ごとの桜の花ざかりには、その宮へなむおはしましける。その時、右の馬の頭なりける人(在原業平)を、常に率(ゐ)ておはしましけり。時世経て久しくなりにければ、その人の名忘れにけり。

狩はねむごろにもせで、酒をのみ飲みつつ、やまと歌にかかれりけり。いま狩する交野(かたの)の渚の家、その院の桜、ことにおもしろし。その木のもとにおりゐて、枝を折りて、かざしにさして、上中下(かみ・なか・しも)、みな歌よみけり。馬の頭なりける人のよめる。

世の中に/絶えて桜の/なかりせば/春の心は/のどけからまし

となむよみたりける。又の人の歌、

散ればこそ/いとど桜は/めでたけれ/憂き世になにか/久しかるべき

とて、その木のもとは立ちてかへるに、日暮になりぬ。


異本伊勢物語絵巻(東京国立博物館)

御供なる人、酒をもたせて、野よりいで来たり。この酒を飲みてむとて、よき所を求めゆくに、天の河といふ所にいたりぬ。親王に馬の頭、大御酒(おおみき)まゐる。親王の宣ひける、「交野を狩りて、天の河のほとりに至るを題にて、歌よみて盃はさせ」と宣うければ、かの馬の頭、よみて奉りける。

狩りくらし/たなばたつめに/宿からむ/天の河原に/われは来にけり

親王、歌を返へすがへす誦(ず)じ給うて、返しえし給はず。紀の有常(惟喬親王の母・紀静子の兄、娘は業平の妻)、御供に仕うまつれり。それが返し、

ひととせに/ひとたび来ます/君待てば/宿かす人も/あらじとぞ思ふ


異本伊勢物語絵巻(東京国立博物館)

帰りて宮に入らせ給ひぬ。夜ふくるまで酒飲み、物語して、あるじの親王、酔ひて入り給ひなむとす。十一日の月もかくれなむとすれば、かの馬の頭のよめる。

あかなくに/まだきも月の/かくるるか/山の端逃げて/入れずもあらなむ

親王にかはり奉りて、紀の有常、

おしなべて/峰もたひらに/なりななむ/山の端なくは/月も入らじを


異本伊勢物語絵巻(東京国立博物館)

●小野の雪(伊勢物語第八十三段)

昔、水無瀬に通ひ給ひし惟喬の親王、例の狩りしにおはします供に、馬の頭なる翁、仕(つか)うまつれり。日ごろ経て、宮に帰り給うけり。御送りして、とく去(い)なんと思ふに、大御酒賜ひ、禄賜はむとて、つかはさざりけり。この馬の頭、心もとながりて、

枕とて/草ひき結ぶ/こともせじ/秋の夜とだに/頼まれなくに

とよみける。時は三月(やよひ)のつごもりなりけり。親王、大殿籠(おおとのごも)らで明かし給うてけり。

かくしつつまうで仕うまつりけるを、思ひのほかに、御髪(ぐし)下ろし給うてけり。正月(むつき)に拝み奉らむとて、小野にまうでたるに、比叡の山のふもとなれば、雪いと高し。


異本伊勢物語絵巻(東京国立博物館)

強ひて御室にまうでて拝み奉るに、つれづれといともの悲しくておはしましければ、やや久しく候(さぶら)ひて、いにしへのことなど思ひ出で聞こえけり。さても候ひてしがなと思へど、公事(おほやけごと)どもありければ、え候はで、夕暮れに帰るとて、

忘れては/夢かとぞ思ふ/思ひきや/雪踏み分けて/君を見むとは

とてなむ泣く泣く来にける。


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