シビュラ


■ローマのシビュラ伝説

シビュラとは、古代の地中海世界において、神託を司った女性預言者です。

ローマの伝説によれば、紀元前六世紀、アテナイの政治家ソロンやペルシア王キュロス二世の時代に、ヘレスポントスのシビュラによって神託集『シビュラの書』が作成され、トロアスのイダ山にあるゲルギスのアポロン神殿に奉納されます。

『シビュラの書』はゲルギスからイオニアの都市エリュトライに渡り、その地でエリュトライのシビュラの神託として有名になります。

『シビュラの書』はさらに、イタリア半島のギリシア植民都市クマエに渡ります。古代ローマ王タルクィニウスは、クマエのシビュラから『シビュラの書』を購入し、それ以降、共和政期や帝政期を通じ、危機的な局面で参照されることになります。

図は、テート・ギャラリー所蔵のウィリアム・ターナー作「バイアエ湾のアポロとシビル」です。風景の中にアポロンとクマエのシビュラが追憶のように描かれています。


■ウァロの十人のシビュラ

紀元前一世紀のローマの歴史家マルクス・テレンティウス・ウァロは、地理的な形容語句を持った十人のシビュラを列挙します。

一)ペルシアのシビュラ
二)リビアのシビュラ
三)デルポイのシビュラ
四)キメリアのシビュラ
五)エリュトライのシビュラ
六)サモスのシビュラ
七)クマエのシビュラ
八)ヘレスポントスのシビュラ
九)フリギアのシビュラ
十)ティブルのシビュラ

ウァロの原本は失われましたが、ローマ皇帝コンスタンティヌス一世の顧問であった教父ラクタンティウスが著書『神聖な教理』(紀元後四世紀)にウァロの十人のシビュラを引用しました。この著書が、シビュラの人数と役割についての後世の認識にとって、中心的な典拠となります。


■パウサニアスの四人のシビュラ

紀元後二世紀のギリシアの旅行家パウサニアスは、著書『ギリシア案内記』で、時代順に四人のシビュラについて記しています。ウァロの十人のシビュラとは、ほぼ次のように対応します。

第一のシビュラ:リビアのシビュラ
第二のシビュラ:ヘレスポントス/エリュトライ/サモス/デルポイのシビュラ
第三のシビュラ:クマエのシビュラ
第四のシビュラ:ペルシアのシビュラ


■キリスト教世界とシビュラ

紀元前二世紀にアレクサンドリアにいたギリシア語を話すユダヤ教徒たちは、『シビュラの書』が享受していた人気と影響力を見て、同じ様式で預言をまとめ、ユダヤ教の宣布に利用します。

後に、キリスト教徒たちも、ユダヤ教徒たちの託宣への加筆や新たな託宣の作成を行い、キリスト教起源の偽書『シビュラの託宣』が出現します。こうしてシビュラは、聖書に登場する預言者たちのように、イエス・キリストの降誕を預言する存在となります。

ルネサンス期以降、シビュラは美術上のモチーフとしても好まれます。ことにミケランジェロ・ブオナローティは、システィーナ礼拝堂のフレスコ画に、聖書の七人の預言者に対置して、五人のシビュラを力強く描き出し、その後のシビュラのイメージに強い影響を与えます。


■リビアのシビュラ

リビアのシビュラは、エジプト西部砂漠のシワ・オアシスにおいて、古代ゼウス・アモン神の神託を司った女性預言者です。アレクサンドロス大王は、エジプト征服後に、この地の神託を閲覧したとされます。

パウサニアス『ギリシア案内記』(紀元後二世紀)は、彼女を最初のシビュラと位置づけ、ギリシア人たちの言葉として「彼女は、ゼウスとポセイドンの娘ラミアとの間に生まれた娘であり、神託を告げた最初の女性である。リビア人たちは彼女をシビュラと名付けた」と記します。


■フリギアのシビュラ

フリギアは、アナトリア高原の中西部に位置した歴史上の王国です。この地域には女性預言者の長い伝統があり、また、大地母神キュベレ信仰の発祥の地として知られます。

フリギアのシビュラは、ヘレスポントスのシビュラおよびエリュトライのシビュラと共に、三人一組で登場します。この三人を最初に記したのは、紀元前四世紀のギリシアの哲学者ポントスのヘラクレイデスです。三人を同一人物とする意見もあります。


■ヘレスポントスのシビュラ

ヘレスポントスのシュビラは、トロアスのゲルギスにおいて、アポロンの神託を司った女性預言者です。

ローマの伝説によれば、紀元前六世紀、アテナイの政治家ソロンやペルシア王キュロス二世の時代に、ヘレスポントスのシビュラによって神託集『シビュラの書』が作成され、トロアスのイダ山にあるゲルギスのアポロン神殿に奉納されます。この神託集は、後にエリュトライに渡り、その地で有名になります。

パウサニアス『ギリシア案内記』(紀元後二世紀)は、ヘロピレという名のシビュラが、トロアスのマルペッソスで生まれ、詩の中で自分をアルテミス(アポロンの双子の妹)、もしくは人間とニンフの間に生まれた娘などと歌い、この地でトロイア戦争を予言したと記します。彼女は、生涯の大半をサモスで過ごし、トロアスに戻って亡くなります。


■エリュトライのシビュラ

エリュトライのシビュラは、イオニアのキオス島対岸の都市エリュトライにおいて、アポロンの神託を司った女性預言者です。

エリュトライのアポロドロスは、ヘロピレという名のシビュラが自国の女性であり、トロイア戦争を予言し、さらに、トロイアへ進軍するギリシア人たちに対して、トロイアが破壊されること、そして、ホメロスが嘘を書くことを予言したと主張します。

パウサニアス『ギリシア案内記』(紀元後二世紀)は、エリュトライの人々はヘロピレを自国の女性だと主張するために、彼女の履歴を都合の良いように歪曲していると皮肉っています。

キリスト教世界では、エリュトライのシビュラは、ティブルのシュビラと共に、特に重要視されます。教父ラクタンティウスは、『シビュラの託宣』から神託を引用する際は、常にそれをエリュトライのシビュラに帰しています。


■サモスのシビュラ

サモスのシビュラは、イオニアのサモス島において、アポロンの神託を司った女性預言者です。

パウサニアス『ギリシア案内記』(紀元後二世紀)は、トロアス出身のヘロピレという名のシビュラが、生涯の大半をサモスで過ごし、トロアスに戻って亡くなったと記します。

中世ビザンティンの百科事典『スーダ辞典』は、サモスのシビュラを、エリュトライのシビュラと同定しています。


■デルポイのシビュラ

パウサニアス(紀元後二世紀)はデルポイを訪れ、『ギリシア案内記』に「大地からそそり立つ岩がある。デルポイの人々が言うには、ヘロピレという名のシビュラがそこに立って、神託を唱えた」、「このシビュラは、生涯の大半をサモスで過ごしたが、コロポン領クラロス、デロス、デルポイも訪れた。彼女はデルポイを訪れるたびにこの岩の上に立ち、聖歌を歌ったのだろう」と記します。

ここで注目されるのは、パウサニアスが、あまりにも有名な「デルポイの神託」と、シビュラとを関係付けていないことです。

ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂に描いた五人のシビュラのうち、四人(リビア、エリュトライ、クマエ、ペルシア)は、パウサニアスの四人のシビュラと一致します。残るデルポイのシビュラは、パウサニアスによれば、エリュトライのシビュラ(ヘロピレ)と同一人物です。

ミケランジェロは、デルポイのシビュラとして、「デルポイの神託」を司ったアポロンの女性司祭ピュティアを描いたのかもしれません。


■クマエのシビュラ

クマエのシビュラは、イタリア半島の古代ギリシア植民都市クマエにおいて、アポロンの神託を司った女性預言者です。

ウェルギリウス『アエネイス』は、クマエのシビュラを、ローマの建国者アイネイアスの冥界への旅路に同伴した女性として描きます。ローマの人々は、初期ローマにおいて重要な役割を果たしたとして、彼女を尊重します。

同じ作者の『牧歌』は、クマエのシビュラの予言として、神童と黄金時代の到来を歌います。キリスト教徒たちは、これをイエス・キリストの降誕を予言したものと考え、彼女を尊重します。

ローマの伝説によれば、紀元前六世紀頃、クマエのシビュラが古代ローマ王タルクィニウスに、九巻の『シビュラの託宣』を売ろうと持ちかけます。タルクィニウスがその法外な高値を理由に断ると、彼女は三巻分を焼き捨て、残り六巻分を再び同じ値段で売ると言います。王がそれも断ると、彼女はさらに三巻分を焼き、残り三巻分を同じ値段で売ると言います。王はついにそれを受け入れ、三巻分を言い値で買い取ります。

クマエのシビュラは、アポロンから予言の能力と千年の命を与えられますが、若さを保てるようにしてもらうことを忘れたため、年老いて萎んでいったとされます。

パウサニアス『ギリシア案内記』(紀元後二世紀)は、クマエのシビュラはデモという名前で、「クマエの人々は彼女が告げた神託を示せないが、アポロンの聖域で小さな石の骨壺を示し、その中にシビュラの遺骨があると言う」と記します。


■キメリアのシビュラ

キメリアのシビュラは、イタリア半島のキメリアにおいて、アポロンの神託を司った女性預言者です。

キメリアのシビュラは、クマエのシビュラの別名だとする意見が有力です。キメリアはアヴェルヌス湖に近く、クマエのシビュラはアヴェルヌス湖の近くの地底世界に住んだとされるからです。


■ペルシアのシビュラ

ペルシアのシビュラは、洪水伝説で知られるノアの家族で、アレクサンドロス大王の偉業を予言していたとされます。ここでペルシアは、古代ペルシア帝国の版図だった広範な地域内のどこか(たとえばバビロニア)を指すと考えられます。

パウサニアス『ギリシア案内記』(紀元後二世紀)は、「パレスチナのヘブライ人たちの間に神託を告げるサベという名の女性が現れた」と述べ、「しかし、ある人々はサベをバビロニアのシビュラ、他の人々はエジプトのシビュラと呼んでいる」と結びます。

中世ビザンティンの百科事典『スーダ辞典』は、このヘブライのシビュラを『シビュラの託宣』の著者と同定しています。


■ティブルのシビュラ

ティブルのシビュラは、ギリシア人にとって伝統的な他の九人のシビュラと異なり、ローマ人によって十番目のシビュラとして加えられました。

ティブル(現在のティボリ)は、ローマ近郊の古代エトルリア人の町です。彼女はそこで女神として崇められていたとされます。

キリスト教世界では、ティブルのシュビラは、エリュトライのシビュラと共に、特に重要視されます。

中世の伝説によれば、ローマの廷臣たちが、皇帝アウグストゥスを神として崇拝したいと願います。皇帝は、良い気分がしなかったので、ティブルのシビュラを呼び寄せます。イエス・キリスト降誕のまさにその日、シビュラは皇帝に対し、天空に幻視を示します。そこに見えたのは、子供を抱いた美しい婦人が、祭壇の上に座っている姿です。シビュラは皇帝に、この子供が皇帝よりも偉大になるだろうと告げます。それを聞くと、皇帝は膝を折り、その子供を崇拝します。


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