世界の七不思議


■古典古代における世界の七不思議

世界の七不思議とは、古典古代(古代ギリシャ・ローマ時代)における七つの注目すべき建造物のことです。

一般的には、紀元前二世紀にビザンチウムのフィロンの書いた『世界の七つの景観』の中で選ばれた、古代の地中海地方に存在していた七つの巨大建造物を指します。

この内「アレクサンドリアの大灯台」は、実際にはフィロンの選んだ七つには含まれていません。フィロンが選んだのは「バビロンの城壁」ですが、後世になって「バビロンの空中庭園」と同一視されたためか、「アレクサンドリアの大灯台」と差し替えられました。

これらのほとんどは地震や破壊などで消滅してしまい、「ギザの大ピラミッド」のみが現存する唯一の建造物となっています。

なお、上記の書名で「景観」と訳されている言葉は、ギリシア語で「必見のもの」といった意味で、本来は「不思議=謎」といった意味は含まれていません。


■ギザの大ピラミッド

ギザの大ピラミッドとは、エジプトのギザに建設された「クフ王のピラミッド」のことです。世界の七不思議で唯一現存する建造物です。

このピラミッドは、エジプト第四王朝のファラオ、クフ王の墳墓として紀元前2540年頃に20年以上かけて建築されたと考えられています。完成時の高さは146.6メートルと推定されています。

画像は『ヨーロッパ古代・中世史』(Copyright 1920 by Ginn and Company)の挿画「ギザの大ピラミッドとその他の墓遺跡の修復」です。


■バビロンの空中庭園

バビロンの空中庭園は、紀元前600年頃にバビロンに建設された屋上庭園です。新バビロニアの王、ネブカドネザル二世が、メディア出身で砂漠の国に輿入れするのを嫌がった王妃アミュティスを慰めるために建造しました。

名前からは、重力に逆らって空中に浮かぶ庭園が連想されますが、実際には高台に造られた庭園です。あまりの大きさのため、遠くから見ると、あたかも空中に吊り下げられているように見えたと言われます。

宮殿の中に作った五段の階段状になった高さ25メートルのテラスに土を盛り、水を上まで汲み上げて下に流し、樹木や花などを植えました。最上段の面積が60平方メートルと推定されています。

紀元前538年のペルシアによる侵略の時に破壊されたと言われます。現在のバグダード郊外にそれらしい遺跡が残ります。

画像は『バビロンの空中庭園』です。誤って十六世紀のオランダの画家マルティン・ファン・ヘームスケルクの作品とされたことがありますが、実際には十九世紀にアッシリアの諸都市の発掘が始まった後に描かれた作品と考えられています。


■エフェソスのアルテミス神殿

エフェソスのアルテミス神殿は、紀元前550年ごろにアケメネス朝ペルシア統治下のエフェソス(現在のトルコ)に完成した、女神アルテミスを祀った神殿です。

この神殿は、クレタの建築家ケルシプロンと彼の息子メタゲネスによって設計と建築が行われました。プリニウスによれば、将来起こる地震を警戒して、建設地に湿地が選ばれました。このような場所に巨大な基礎を築くことはできないので、まず地下に踏み潰した木炭を敷き、さらに羊毛を敷きこんだと言われます。

こうして完成した神殿は旅行者の注目の的となり、商人・王・観光客が訪れ、彼らの多くは宝石や様々な品物を奉納してアルテミスに敬意を表しました。そして、その壮麗さは多くの礼拝者もひきつけ、アルテミス崇拝を形成しました。

この神殿は、避難所としても知られ、犯罪者を含め、多くの人々が身の安全のために逃げ込みました。彼らは、アルテミスの保護下にあるとみなされ、逮捕されませんでした。

アルテミス神殿の遺跡は、イギリス人技師ジョン・ウッドが率いる大英博物館の考古学探検隊によって1869年に発見されました。これは、シュリーマンがトロイアやミケーネを発掘する以前のことで、東方の古代遺跡発掘のさきがけとなりました。

画像は、十六世紀のオランダにおいて画家マルティン・ファン・ヘームスケルクの原画に基づいてフィリップ・ガレが製版した版画『エフェソスのアルテミス神殿』です。


■オリンピアのゼウス像

オリンピアのゼウス像は、紀元前435年に古代の高名な彫刻家ペイディアスによって建造された、天空神ゼウスをかたどった彫像です。

紀元前五世紀頃、オリンピアにゼウス神殿が建造されました。ゼウス像はこの神殿の奥に収められました。その全幅は神殿の通路の幅とほぼ同じで、全長は、座像でありながら、約12メートルもありました。

ゼウス像の本体は杉で作られ、表面を象牙で覆っていました。表面の乾燥を防ぐために、常にオリーブ油が塗布されました。座席は金・象牙・黒檀・宝石で飾られていました。右手には勝利の女神ニケの彫像を持ち、左手には鷲が止まった錫杖を持っていました。

建造から800年後の394年、ゼウス像はオリンピアからビザンツ帝国の首都コンスタンティノポリスに移されました。その後の消息は不明ですが、おそらく焼失したのだろうと考えられています。

画像は、十六世紀のオランダにおいて画家マルティン・ファン・ヘームスケルクの原画に基づいてフィリップ・ガレが製版した版画『オリンピアのゼウス像』です。


■ハリカルナッソスのマウソロス霊廟

マウソロス霊廟は、マウソロスとその妻アルテミシアの遺体を安置するために造られた霊廟です。マウソロスは、カリア国の首都をハリカルナッソス(現在のトルコ共和国ボドルム)に定め、周囲の地域も支配下に置きました。

この霊廟は、マウソロスの死後にアルテミシアが夫のために建造したと伝えられますが、実際にはマウソロスの生存中に建造が開始されたと考えられます。マウソロスの死から三年後、アルテミシアの死から一年後の紀元前350年に完成したとされます。

ギリシア人建築家のピティオスとサティロスによって設計され、スコパス、レオカル、ブリアクシス、チモフェイという四人の高名な彫刻家によってフリーズ(彫刻帯)が施されました。

十五世紀に聖ヨハネ騎士団がこの地を侵略し、巨大な城を建てました。この城を要塞化することが決まると、彼らはマウソロス霊廟の残骸を資材として使いました。

1856年、マウソロス霊廟の遺跡を調査するために、大英博物館は考古学者チャールズ・トーマス・ニュートンを送り、彼によって遺跡が発見されました。

画像は、十六世紀のオランダにおいて画家マルティン・ファン・ヘームスケルクの原画に基づいてフィリップ・ガレが製版した版画『ハリカルナッソスのマウソロス霊廟』です。


■ロードス島の巨像

ロードス島の巨像は、紀元前三世紀頃にロードス島に建造された、太陽神ヘリオスをかたどった彫像(コロッソス)です。

紀元前323年にアレクサンドロス大王が急死すると、マケドニア帝国は有力な将軍たちの抗争によって分裂し、ディアドコイ戦争に突入します。この戦争においてロードスはプトレマイオス一世に協力し、紀元前304年にアンティゴノス一世の軍隊を退けます。

ロードスの人々はこの勝利を祝い、太陽神ヘリオスへの感謝の証として巨像の建造を決定しました。建造の指揮はリンドスのカレスに任されました。

巨像は着工から十二年後の紀元前284年に完成します。彫像自体の高さは34メートル、台座を含めると約50メートルに達したとされます。

紀元前226年にロードスで地震が発生し、巨像は膝から折れて倒壊します。プトレマイオス三世は再建のための資金提供を申し出ますが、ロードスの住民は神に似せた彫像を作ったことが神の怒りに触れたと考え、再建を拒否します。

巨像は八百年間にわたってそのまま放置され、その間に残骸を見物するために多くの人々が訪れました。

八百年後の654年、イスラム帝国ウマイヤ朝の初代カリフであるムアーウィヤ一世の軍隊がロードスを征服します。巨像の残骸はエデッサの商人に売却され、商人は彫像を破壊して青銅の屑にし、九百頭のラクダの背に積んで持ち去ったとされます。

画像は、十六世紀のオランダにおいて画家マルティン・ファン・ヘームスケルクの原画に基づいてフィリップ・ガレが製版した版画『ロードス島の巨像』です。


■アレクサンドリアの大灯台

アレクサンドリアの大灯台は、紀元前三世紀頃にエジプトのアレクサンドリア湾岸のファロス島に建造された灯台です。世界の七不思議の一つですが、ビザンチウムのフィロンの選出した七不思議には含まれていません。

紀元前332年、アレクサンドロス大王によってナイル河口にアレクサンドリアが建造されました。アレクサンドロス大王の死後、エジプトは彼の部下であるプトレマイオス一世の統治下に置かれ、ここにプトレマイオス朝が開かれました。

プトレマイオス朝はアレクサンドリアを首都としましたが、この都市の周辺は平坦な土地が広がっており、沿岸航行や入港の際に陸標となるものがありませんでした。そのためプトレマイオス一世は陸標となる灯台の建造を決定しました。建造の指揮はクニドスのソストラトスに任されました。

紀元前305年から工事を開始し、完成したのはプトレマイオス二世の時代でした。建材には大理石が用いられ、灯台の全高は約134メートルでした。頂上には鏡が置かれ、日中はこれに陽光を反射させ、夜間は炎を燃やして反射させていました。

796年の地震で大灯台は半壊し、1303年と1323年の地震で完全に崩壊しました。1480年頃に灯台の残骸を用いてカーイト・ベイの要塞が建造され、大灯台は完全に消滅しました。

画像は、十六世紀のオランダにおいて画家マルティン・ファン・ヘームスケルクの原画に基づいてフィリップ・ガレが製版した版画『アレクサンドリアの大灯台』です。


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